気まぐれ散歩!

= 家までの距離が遠く感じる =

😰 昭和の改元の日 😰  

2023-12-25 11:43:15 | 出来事


🚜 大正から昭和へ 🚜


「昭和」改元の日
(12月25日 記念日)
1926年(大正15年/昭和元年)のこの日
大正天皇が崩御され
皇太子であった裕仁(ひろひと)親王が新天皇に即位された
これと共に新しい元号「昭和」が制定された
「昭和」の由来は、中国最古の歴史書『書経』にある
「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして
萬邦(ばんぽう)を協和す)
いう一行から上下一文字ずつ取ったもの
国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である
戦前の旧祝祭日では
、大祭日の一つ「大正天皇際」(12月25日)といって大正天皇崩御を祀る日とされていた
当時
枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば
宮内省作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが
数回の勘申の結果
「昭和」を候補とし
「元化」「同和」を参考とする最終案が決定した
一方
内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていた
光文事件について
東京日日新聞(現:毎日新聞)は
早くから「新しい元号は
『光文』になるらしい」という情報を得ていたため
政府の公式発表の前に「元号は『光文』に決定」と報じた
しかし
政府は元号を「昭和」と発表したため
この「特ダネ」は「大誤報」となってしまい
編集局主幹の城戸元亮(きど もとすけ)は責任をとって辞任した
「光文」は新元号の候補の中にあり
「元々『光文』に決定していたものが
新聞で先に報道されてしまったため
政府は『昭和』に急遽変更した」という噂が生まれた


📸 年寄りの冷や水 📸


終戦後昭和22年に生を受け
3元号を生き来年
77年(喜寿)まで生き延びてきた
目はカスミ体力も落ちてはきているものの
ぼけは
まだなさそうである
昭和の幼児期は極端な食糧不足を親子ともども
体験した
平成の時代は社会人として公共の安寧の最大限の
責任ある職場で力をそそいだものです
平成の終盤と令和の時代を社会人の終盤と第二の
職場を約7年間勤めあげ現在にいたっております