3月の中旬に義父が亡くなりました
その2週間前に義母が自宅ベットから落ちて手首骨折
手術~入院2泊3日で1週間後の診察があったので…私はその2日前から札幌入りしてました
義母の手首の骨折によって既にマンション一人暮らしは無理に…
ケアマネージャーと相談の上、ショートスティをしてもらう事にしました
札幌のマンションは結構 物がいっぱいあるので…義母が居ない間に断捨離
私おばけとかが怖いので…miさん&renさんに来てもらう事になってたんです
断捨離でごみ袋との格闘してやっと夜、18時過ぎ
やれやれ晩御飯でも食べようかと思った矢先 1本のでんわ
義父の危篤の知らせでしたー
とりあえず、すぐ駆けつけました
やはり肺炎からの悪化でしょうか
その日は何事もなく終わりその2日後、またもや危篤のでんわが
先日も大丈夫だったので…たぶん今回も大丈夫だろうって思ってました
病院からかかってきた時間が19時過ぎ
もう少しでmiさんが帰ってくるので晩御飯を食べてから行きますね!と返事をした私
その5分後 緊迫した状態で病院からでんわが
看護師:「血圧も低く、酸素も足りてない状態できわめて危ないですから早く来てください」と
そこから一口食べたおにぎり
やっぱり気が動転して、そこまで帰宅途中のmiさんに上手くLINEが打てないんです
速攻で支度し、タクシー呼んで、丁度miさんが近くのコンビニまで来てるので拾って病院へ直行
到着したのが19時30分過ぎ~~~
すでに義父は酸素マスクをしていて、耳は聞こえてると思いますが意思の疎通は無理
miさんは次の日、幼稚園の卒園式で初めて年長組さんを送り出す担任だったので…
私だけ布団の手配をして泊まり込む用意をしました
その間にrenさんも到着しました
22時頃から急激に血圧が低下
えっ~~~~~~~~~~~~じいちゃん死んじゃうの
看護師さんも「傍に付いて上げてください」と…
様とはTV電話(FACE TIME)で中継しながら私・miさん・renさんと義父を看取ることができました
義母も呼ぼうとしましたがショートスティしていましたので、夜間の外出は無理と言われ断念。
苦しまなかったものの義父は逝ってしまいました
医師が来て死亡時間「pm10:47です」と…慢性心不全でした
義母と2年前から葬儀場は決めてありましたので、ここからは葬儀屋さんとの打ち合わせです
病院の寝巻から真新しい「ゆかた」に着替えさせてもらい「霊安室」へ
すでに0時すぎてました
miさんとrenさんはマンションに帰ってもらい
葬儀屋さんが見えて私と義父を乗せたバスで葬儀場の霊安室へ
築3年のきれいで素敵な葬儀場です
1晩、義父が寝てる部屋で私も寝る事に。
葬儀場に夜中、1時頃着くないなや打ち合わせが始まりました
ここから不思議な事がおきたのです
打ち合わせの時間は夜中の1時を回っていたので…
カバンから腕時計を取り出して付けようとしたら
私:「あれ~~~~???10:22で止まってる」「今1時過ぎてますよね」
葬儀屋さん:「はい」
私:「でも電池交換したばかりだからおかしいなぁー」と思った瞬間
なんと時計の秒針が動き出したのです
わぁ~~~~~~~~すぐわかりました
義父からのメッセージだと…
たぶん、父が急変して亡くなりそうになった時間帯がこの時間なんです
今までこんな経験したことないのでびっくりしましたが…
義父からは私、テレパシー受けやすいかもです
今でも時々、見守られてる守られてる感が感じられる事、多々あります
義父のメッセージは何だったんでしょうか。
とても強く、節目節目に引き寄せられて動かされてるというか そんな感じさえします
今は義母は「高齢者住宅ケアホーム」にお引越ししてくれたので…
マンションンの後片付けと事務手続きに追われて、半分は札幌生活です
長い間、見て下さりありがとうございました。
時間ができましたらまたブログUPしますので宜しくお願いいたします