3日間にわたってお届けさせて頂いた「うさぎの森の話」の表題には、間接代表という造語を使いましたが、正式には代表民主政治における間接民主制というべきで、議会制民主主義とほぼ同じ意味です。
憲法解釈では、国政レベル、地方レベルにおいても間接民主制を基本とし、直接民主制を間接民主制の補完物と捉えている方が多いと言われています。
住民投票に代表されるような直接民主制こそ民主主義の原点だという議論もありますが、様々な問題が指摘されています。
先ず、所沢の住民投票で感じたことですが、お父さんうさぎとお母さんうさぎのように、同情や信条、つまり「かわいそう」「あまやかすな」といった感情的な判断をする方々には、費用や効果といった客観的な情報を受け入れる気配はあまりありませんでした。
ここは直接民主制の一つの危うさです。
次に、お婆さんうさぎのように、住民投票の設問の内容や情報を理解することが困難な場合があります。実際に私の母も文章を何度みても分からず、何に〇をつけるかの投票方法を理解するのさえ困難でした。
これも直接民主制の危うさであり、諸外国ではマイノリティの権利を侵害するような決定を行ってしまう可能性すら否定できません。
また、お爺さんうさぎのように、普通の生活をしている方では、知りたい情報を調査をする時間や費用、場合によっては権利さえ制限されてしまっています。
議員に調査権や政務活動費、議会図書館等があるのはこれを乗り越えるためのものだと理解しています。
つまり、直接民主制が補完的と位置付けられる理由の一部にはこのような限界があるからなのかと感じました。だから、議員と議会がつくられたのです。
代わりに、調べ、論点を明らかにし、決める。茶色のうさぎと灰色のうさぎはまさしく議員として、森の広場は議会として機能するようになります。
明日は、間接民主制の限界についてお届けします。
つまらない話しかもしれませんが、もう少しお付き合い下さい。