もう、阪神優勝やね。
何度も言いますが、強いときの阪神ファン...そんなボクです。
だから今年はほぼ間違いなく、阪神ファンです。
最近、聴いたアルバム。
「YOUNG & PRETTY」/ THE BLUE HEARTS
もう21年前のことになる...
中学3年生だったボクは、熱中したクラブ活動(卓球部ネ。ペンホルダーで前陣速攻型。バーミンガム77ってラケットに表ソフトラバーを使用。憧れの選手は中国の江加良...あっ、モチロン分かるヒトだけでイイですョ。)も府下大会をもって引退...
夕方になると8月いっぱいで放送終了が決定した「夕やけニャンニャン」を見ながら、おニャン子クラブ解散後に、ファンだった渡辺満里奈が引退してしまわないかと不安になったり、翌年に控えた高校受験に備えるフリをするという毎日を過ごしていたワケやけど。
そんなわりとマッタリとした夏休みを過ごしていたボクは、ある夜に見た、テレビの深夜放送で、完全にノックアウトされた。
リフレインされる「キスしてほしい」というフレーズ。どうやらライブだ。
ボーカルのヤツは大きく開いた目ん玉をギョロギョロさせながら、カラダを揺らし、時には高くジャンプしながら、歌うと言うよりは叫んでいた...おまけに髪の毛は丸坊主。当時のボクだって、ワケの分からん校則により立派な「マルコメ君」だったが、ブラウン管の中で叫んでるアイツの髪型はとてもボクと同じモノとは思えなかった。
そして、呆気ないくらいに一瞬でその曲は終わった...
もうワケが分からない。
しばらくして「何やアレ...?」とつぶやいて、ボクはある名前を記憶にとどめた。
「ザ・ブルーハーツ」
おかげでずいぶんと刺激的な夏休みを過ごせた。
ボクは新学期になると再会した友人たちに片っ端から聞いてみた。
「なぁ、ブルーハーツって知ってる?」
多感な時期とは言え、そこは田舎の中学生。
ほとんどのクラスメートは「ん、何ソレ?」ってな感じの答えだった。
と、エラそうに書いたボクでさえ、すぐにブルーハーツのアルバムは買いに行かずに、9月に発売される渡辺満里奈のアルバム「EVERGREEN」を買うために必死でお小遣いを貯めていたのだが...
そんな中、同じクラスのヤツがひとり、「オレの兄貴が聞いてるよ。」
と言って、親切なことにカセットテープまで貸してくれた。
そう、この頃は友人の兄貴、姉貴ほど、頼もしい存在は無い。このヒトたちがいれば、レベッカも、1986オメガトライブも、ハウンドドッグやTMネットワークだって、カセットテープで聴くことができたんだもの。
そんなこんなで、ボクはやっとブルーハーツの2ndアルバム「Young & Pretty」を聴いた。
「キスしてほしい」から始まる、全12曲。「ビートパンク」なんて言葉を知ったのは高校受験を済ませてからまだずっと後だ。アルバムの途中と最後の曲で聴こえる「がなり声」。ギターのマーシーの歌声だった。「こんなこと歌ってもええんか?」と思わせる攻撃的な歌詞...
でも、彼等の歌詞は、再放送で見た「3年B組 金八先生2」で加藤優たちが荒谷二中の放送室に校長を人質に立てこもった一連のシーンを見て、ココロの奥に「反抗」という感情を抱き始めた、極めて単純なボクの感性を十二分に刺激した。
そんなこんなで、87年も秋~冬へ。受験勉強はもちろん、突然我がクラス3年3組だけで、異様にブレイクした「バービーボーイズ」ブーム(もちろん、アルバム「LISTEN!」買ったョ。カセットテープで...)、ボウイ解散。毎週土曜日、友人宅で開催された「ファミスタ大会」。あまりに白熱し、全クラスが勉強そっちのけで練習に没頭したため、先生たちが高校受験を真剣に心配した「クラス対抗ソフトボール大会」など...様々な日々を過ごしながらボクの中学時代は過ぎていった。
あっ、そうそう87年の末頃には、ブルーハーツもボクたちが普段見ているような歌番組に出るようになっていた。「夜のヒットスタジオ」に出た彼等は最高にイカしてた。
モヒカンのドラムにニコニコした☆のマークのシャツを着たベース、ギターのヤツはやっぱりハスキーでぶっきらぼうに「リンダ、リンダ」とコーラスをしてた。
ボーカルの丸坊主は司会に「故郷の肉親に何か言いたいことは?」と聞かれ、「そうか、ニューヨークの父と母に...」と言うセリフを吐いた。岡山弁丸出しのヒロト...
全部イケてた。
高校に入ると、世はまさにバンドブーム到来の予感...さすがに当時のパンクやインディーシーンにも詳しいヤツがいて、ブルーハーツの1stを貸してくれた。再びの衝撃...
「終わらない歌」を聴いた時、なぜか分からないが、泣きそうになってる自分がいた。「少年の歌」を聴くと、再び体中に鳥肌がたった。
ボクはブルーハーツを好きになり、どんどん聴いた。
新しく出た「チェルノブイリ」も。アルバム「Train-Train」も...「青空」、「風船爆弾」、「お前をはなさない」、「僕の右手」...好きな曲ばかりだ。
「Train-Train」はちょっとサウンドが変わって、まわりでは賛否両論だったが、ボク的には、今でもこのアルバムの雰囲気は大好きだ。
と、そんなこんなで、ボクは次のアルバム「BUST WEST HIP」あたりまでは熱心に彼等の曲を聴いていた。
しかし、ボクは次第に彼らの音楽から少しずつ距離を置いていくようになっていった。新たに、もっと魅力的な音楽に出会ってしまったからだ。ビートルズという、ブルーハーツよりも20年以上前からいた、これまた「全部イケてる」ロックンロールのできた素敵な4人組だった。
そんなこんなで月日は流れボクが20代前半の頃。
ブルーハーツは呆気なく解散した...ボクが中3の夏休みに見た深夜放送での「キスしてほしい」と見た時と同じくらいの衝撃だった。
ヒロトとマーシーのハイロウズにも好きな曲はある。
クロマニヨンズはほとんど知らない...
しかし、今でもブルーハーツの「Young & Pretty」、特に「キスしてほしい」を聴くとの衝撃を思い出す。
まぁ、「R35」なんてアルバムはやっぱり聴けないボクだけど、今日の内容は完全にR35的なシロモノなんで、ひとつご勘弁を...
「リンダリンダ」/ THE BLUE HEARTS 夜ヒット初出演。
http://jp.youtube.com/watch?v=sv6DOW5-hCE
何度も言いますが、強いときの阪神ファン...そんなボクです。
だから今年はほぼ間違いなく、阪神ファンです。
最近、聴いたアルバム。
「YOUNG & PRETTY」/ THE BLUE HEARTS
もう21年前のことになる...
中学3年生だったボクは、熱中したクラブ活動(卓球部ネ。ペンホルダーで前陣速攻型。バーミンガム77ってラケットに表ソフトラバーを使用。憧れの選手は中国の江加良...あっ、モチロン分かるヒトだけでイイですョ。)も府下大会をもって引退...
夕方になると8月いっぱいで放送終了が決定した「夕やけニャンニャン」を見ながら、おニャン子クラブ解散後に、ファンだった渡辺満里奈が引退してしまわないかと不安になったり、翌年に控えた高校受験に備えるフリをするという毎日を過ごしていたワケやけど。
そんなわりとマッタリとした夏休みを過ごしていたボクは、ある夜に見た、テレビの深夜放送で、完全にノックアウトされた。
リフレインされる「キスしてほしい」というフレーズ。どうやらライブだ。
ボーカルのヤツは大きく開いた目ん玉をギョロギョロさせながら、カラダを揺らし、時には高くジャンプしながら、歌うと言うよりは叫んでいた...おまけに髪の毛は丸坊主。当時のボクだって、ワケの分からん校則により立派な「マルコメ君」だったが、ブラウン管の中で叫んでるアイツの髪型はとてもボクと同じモノとは思えなかった。
そして、呆気ないくらいに一瞬でその曲は終わった...
もうワケが分からない。
しばらくして「何やアレ...?」とつぶやいて、ボクはある名前を記憶にとどめた。
「ザ・ブルーハーツ」
おかげでずいぶんと刺激的な夏休みを過ごせた。
ボクは新学期になると再会した友人たちに片っ端から聞いてみた。
「なぁ、ブルーハーツって知ってる?」
多感な時期とは言え、そこは田舎の中学生。
ほとんどのクラスメートは「ん、何ソレ?」ってな感じの答えだった。
と、エラそうに書いたボクでさえ、すぐにブルーハーツのアルバムは買いに行かずに、9月に発売される渡辺満里奈のアルバム「EVERGREEN」を買うために必死でお小遣いを貯めていたのだが...
そんな中、同じクラスのヤツがひとり、「オレの兄貴が聞いてるよ。」
と言って、親切なことにカセットテープまで貸してくれた。
そう、この頃は友人の兄貴、姉貴ほど、頼もしい存在は無い。このヒトたちがいれば、レベッカも、1986オメガトライブも、ハウンドドッグやTMネットワークだって、カセットテープで聴くことができたんだもの。
そんなこんなで、ボクはやっとブルーハーツの2ndアルバム「Young & Pretty」を聴いた。
「キスしてほしい」から始まる、全12曲。「ビートパンク」なんて言葉を知ったのは高校受験を済ませてからまだずっと後だ。アルバムの途中と最後の曲で聴こえる「がなり声」。ギターのマーシーの歌声だった。「こんなこと歌ってもええんか?」と思わせる攻撃的な歌詞...
でも、彼等の歌詞は、再放送で見た「3年B組 金八先生2」で加藤優たちが荒谷二中の放送室に校長を人質に立てこもった一連のシーンを見て、ココロの奥に「反抗」という感情を抱き始めた、極めて単純なボクの感性を十二分に刺激した。
そんなこんなで、87年も秋~冬へ。受験勉強はもちろん、突然我がクラス3年3組だけで、異様にブレイクした「バービーボーイズ」ブーム(もちろん、アルバム「LISTEN!」買ったョ。カセットテープで...)、ボウイ解散。毎週土曜日、友人宅で開催された「ファミスタ大会」。あまりに白熱し、全クラスが勉強そっちのけで練習に没頭したため、先生たちが高校受験を真剣に心配した「クラス対抗ソフトボール大会」など...様々な日々を過ごしながらボクの中学時代は過ぎていった。
あっ、そうそう87年の末頃には、ブルーハーツもボクたちが普段見ているような歌番組に出るようになっていた。「夜のヒットスタジオ」に出た彼等は最高にイカしてた。
モヒカンのドラムにニコニコした☆のマークのシャツを着たベース、ギターのヤツはやっぱりハスキーでぶっきらぼうに「リンダ、リンダ」とコーラスをしてた。
ボーカルの丸坊主は司会に「故郷の肉親に何か言いたいことは?」と聞かれ、「そうか、ニューヨークの父と母に...」と言うセリフを吐いた。岡山弁丸出しのヒロト...
全部イケてた。
高校に入ると、世はまさにバンドブーム到来の予感...さすがに当時のパンクやインディーシーンにも詳しいヤツがいて、ブルーハーツの1stを貸してくれた。再びの衝撃...
「終わらない歌」を聴いた時、なぜか分からないが、泣きそうになってる自分がいた。「少年の歌」を聴くと、再び体中に鳥肌がたった。
ボクはブルーハーツを好きになり、どんどん聴いた。
新しく出た「チェルノブイリ」も。アルバム「Train-Train」も...「青空」、「風船爆弾」、「お前をはなさない」、「僕の右手」...好きな曲ばかりだ。
「Train-Train」はちょっとサウンドが変わって、まわりでは賛否両論だったが、ボク的には、今でもこのアルバムの雰囲気は大好きだ。
と、そんなこんなで、ボクは次のアルバム「BUST WEST HIP」あたりまでは熱心に彼等の曲を聴いていた。
しかし、ボクは次第に彼らの音楽から少しずつ距離を置いていくようになっていった。新たに、もっと魅力的な音楽に出会ってしまったからだ。ビートルズという、ブルーハーツよりも20年以上前からいた、これまた「全部イケてる」ロックンロールのできた素敵な4人組だった。
そんなこんなで月日は流れボクが20代前半の頃。
ブルーハーツは呆気なく解散した...ボクが中3の夏休みに見た深夜放送での「キスしてほしい」と見た時と同じくらいの衝撃だった。
ヒロトとマーシーのハイロウズにも好きな曲はある。
クロマニヨンズはほとんど知らない...
しかし、今でもブルーハーツの「Young & Pretty」、特に「キスしてほしい」を聴くとの衝撃を思い出す。
まぁ、「R35」なんてアルバムはやっぱり聴けないボクだけど、今日の内容は完全にR35的なシロモノなんで、ひとつご勘弁を...
「リンダリンダ」/ THE BLUE HEARTS 夜ヒット初出演。
http://jp.youtube.com/watch?v=sv6DOW5-hCE