Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

望郷の想い

2021年01月07日 | 日記
 2021年がスタートし、はやくも一週間が経とうとしています。夫と結婚してから毎朝二人でしていることは、聖書を読み、そのことについて自分たちが示されたことを短く分かち合い、祈ってから一日を始めています。どの聖書の箇所を読むかは、年ごとに毎日読む箇所(大概、短い文章)が記されている本、いわゆる「日々のみことば」の類のもので、いわゆるデボーション用の本でネットでも多く見られますが、それにそっています。今年の1月1日の箇所は、「私たちの国籍は天にあります。」ピリピ人への手紙3章20節でした。

 普段の生活で、あまり自分の国籍というものを意識することはないかもしれません。私は海外に住んでいた時は、自分がエイリアン(異邦人)であることをひしひしと感じていました。その国民であることによって受けられるサービスや恩恵を受けられ、自由に自分の想いを表現できる言語を使いこなせる土地に住む事ができるのは幸いだなと、日本に帰国して実感いたします。また自分のアイデンティティを確認する時に、自分は日本人だということを考えるのではないでしょうか。在米の私の日本人の友人たちでアメリカでの人生が長い人は、アメリカ国籍を取得している人もいました。つまり、日本人であっても、国籍はアメリカとなります。

 一方で、海外在住が長くとも、日本にいつかは帰りたいという思いがあり、日本国籍のまま働き、生活している方々もいます。いずれにしても、最終的に帰りたい、何かあれば帰れるところであるという安心感を持てる、そのような故郷が日本にあると思います。また、日本国内でも地方から都会に出てきている人々には、故郷という場所は家族がそこに居る限り、何かあったら帰れるという場所であり、都会での生活が大変であっても、その故郷のことを思って頑張ろう!と励まされる人もいると思います。

 クリスチャンにとって、この世での生活は仮住まい(寄留者の生活)であり、いつか天の故郷へ行けるという望郷の思いが与えられていることは幸いです。なぜなら、この世の生活では嬉しいこと楽しいことばかりではなく、むしろ困難なことの連続かもしれないからです。若い時はその時なりに、学校や会社で人間関係に悩み、年を重ねると、以前のように活動できなくなったり、病気になったりと、いつも順調には人生進みません。しかし、どんな時でも、「ああこれで終わりか、もう踏ん張れない、、」という思いではなく、「そうだ、最終的には天国という故郷が用意されている、今は神さまに全てお任せしよう!」と信じられる信仰が与えられると、それが生きる上での支えになり、前向きに困難にとりくめる力が神さまから与えられます。

 下記のように聖書のヘブル人への手紙に記されています。
「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」へブライ人への手紙13章13-16節

 天の故郷を待ち望みつつ、今、特定の国や人ではなく、全ての人が大変な困難を通っているという時代において、このことを覚え、日々励まされ歩んでいきたいと念頭から励まされました。

「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。」ピリピ人への手紙3章20節 (口語訳聖書)