Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

家庭菜園:ナス、トマト、そして オリーブ

2020年07月19日 | 日記
 プチ家庭菜園を始めました。性格的にまめにではない、初心者の私たちは、手がかからないナスとトマトの苗をプランターに植えました。今年は雨が多く、6-7月の日照時間が少なかったにも拘わらず、見る見る大きくなり、実のサイズは小さいですがたくさんなり、それを取っては食卓で楽しんでいます。教会の礼拝に参加されている農家を営む方より「肥料をやるといいよ」とアドバイスを頂き、土の上にそのまま散らすだけの簡単な肥料を月に一度くらい足しています。

 もう一つ、益子に引っ越した時にお祝いに頂いた小さなオリーブの木を、教会の正面玄関のサイドに植えました。これも順調に成長しています。オリーブの実がなるにはまだまだ時間がかかるかもしれませんが、オリーブの木に関しては実を食べることより、その木の成長自体を楽しみにしています。なぜなら、その木は益子での伝道活動を始めた記念に植えたということで、その木に教会の成長に重ねて、思いを込めて神様に祈っているからです。

 その昔、地上に人の悪が増大し、神様は大洪水を起こしましたが、ノアとその家族、そしてつがいの動物たちだけを40日降り続いた雨の中、箱舟の中で生き残らさせました。雨が止んで水が引き始めた時、一匹の鳩を箱舟の窓から放つと、オリーブの葉っぱを加えて戻ってきたとあります*1。これは全て水浸しになっいていた陸に草木が生え始めた、つまり大洪水が終わったことの証拠です。以来、鳩がオリーブの葉を加えているモチーフは、平和の象徴として知られています。また、イエス・キリストの生涯において、彼が洗礼を受けた時に、天が開いて鳩のような形をした聖霊が天から降りてきたと記されていて*2、よって鳩は聖霊をあらわす象徴でもあります。

 下記の聖書の箇所にあるように、イエス・キリストご自身が平和そのものであり、人と神との和解をもたらす方であると記されています。すると、イエス様がこの世に来られる何千年も前のノアの洪水の時代に、すでに平和のモチーフである鳩がイエス・キリストの到来の予表として示されていたのではないかと、ふと関連づけてしまいます。聖書の中には、数字やある物がシンボルとして様々な意味を表している場合があります。聖書自体の一つ一つの書簡が時代も異なり、書いた人も異なるにも拘わらず、一貫して神様の人類の救いに対する計画が歴史や預言書、詩を通して示されていることは驚きであり、奥が深いです。人間が聖書を編集したつもりでも、神様の救いの計画が時代や民族を超え、内容も変わらず、全世界に語り継がれているのは、その背後に神様が編集者として働かれているからでしょう。

 一方、オリーブの実は、圧縮すると油が出て、古くからオリーブオイルとして食用、香料、点火用など人間の様々な生活に用いられています。イエス様はゲッセマネの園という場所で、十字架に架かる前に苦しみ悶えて祈られたと記されていますが*3、ゲッセマネは「オリーブの油搾り」という意味で、その園にはたくさんのオリーブが植えられていたからではと言われています。オリーブの実は潰さなければオイルが生成されることはありません。このことは、人と神様との間の平和の為に、人同士の平和がもたらされる為に、イエス様ご自身の身が圧縮されるほどの苦難と死を経験しなければならなかったことをゲッセマネの園はシンボル的に指し示しているのではないでしょうか。ノアの箱舟の後、再び人類は人口が増え、人の悪がはびこり、人の間にはいつも争いがあり、神様と人との間に罪という大きな隔たりができてしまいます。しかし、2千年前に、究極的に人に平和がもたらされるために、神様はイエス様の十字架の死という犠牲を成就されました。そしてイエス様が死から3日後に復活されることで、私たちもこのイエス様の救いを信じて新しい命を頂き、聖霊の力により新しく生きることができ、平和も与えられると聖書に約束が記されています。この救いの約束を信じ、イエス様にある平和を求めつつ、地上での生活を過ごしていけたらと願います。

「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」  エペソ人への手紙2章14-16節 
  

*1 「はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。」 創世記8章11節
*2 「イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。 また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。 マタイによる福音書3章16-17節
*3マタイによる福音書26章3節、ルカによる福音書22章39-44節