Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

人に任せることと自分がなすべきこと

2019年05月05日 | 日記
 何事も、自分でしないと気が済まない、もしくは頼むのが面倒くさいので、大変でも自分でしてしまうということがないでしょうか。私はどちらかというと、なるべく人に迷惑をかけず全部自分でしてしまおうという方です。また独身時代が長く自分で全てしなければならなかったという状況もあり、結婚した後もまだその癖が残っていて、時々夫にあきれられてしまいます。先日も10連休で道路が大渋滞になった時、途中で運転を夫が変わろうと言ってくれたのに、私は運転を変わる暇があったら早く着きたいとの一心で、結局大渋滞の中休みなく4時間運転してしまいました。一方、全て人任せで自分はやろうとせず、最低限自分のすべきことさえもしようとしない人もいるかもしれません。人に任せることと自分がすべきことを見極める、またバランスをとるのは難しいことです。

 信仰の面でも神様に任せることと自分がなすべきパートがあります。ほとんどが神様に委ねるのですが、祈って何もしない、あとは神様が何かしてくれるまで寝ていよう、というのでは棚からぼた持ち状態です。例えば、就職活動において「神様、これこれの仕事を与えてください」とまず祈ることは一番です。また人間関係がうまくいかない場合、「神様、夫(妻)との関係、職場の同僚との関係がよくなりますように。相手が悪いですから相手を変えて下さい!」と祈ったとします。しかし祈りと共に、自ら行動するパートがあるはずです。就職なら、自分で調べて履歴書を送る、誰かに紹介してくれるように頼む等、また働き始めたばかりは慣れるのが大変であっても、すぐに辞めずある程度忍耐して働いてみるなど。また人間関係にしても、確かに相手がいつも攻撃的、意地悪かもしれませんが、自分の態度はどうか?最近、問題の相手を尊敬したことがあるか、その人に優しい言葉をかけたこと、最後に「ありがとう」と言ったのはいつか?と顧みて、悔しくても感情がついていかなくとも、こちらから態度や言葉で優しさを示すことはできます。これらは自らがするパートであって、神様がしてくれるパートではないでしょう。

 信仰の成長は、物事がうまくいかない、困難な環境の中でなされます。そういう時こそ、正直な自分の感情を含め、状況のそのまま神様に祈り、静まって神様が動かれる、働かれるのを待ちつつ、自分は忍耐し、謙遜になって、自分が出来る事をしていく。すると、ある時状況が変えられていく、というのを経験し、神様の恵みわざに感謝しつつ、自身の信仰も成長させられるでしょう。私はもっと、忍耐力が与えられ、何事にも寛容になる、というキリストのような思いに変えられる必要があり、また相手と共に重荷を分かち合う、つまりチームワークを実践で学んでいく必要があります。まずは神様に祈りつつ、自分のなすべきことをしつつ、成長の遅い自分自身にも忍耐して、変えられ続けるのを望んでいきたいと願います。


「どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。 」  ピリピ人への手紙2章2-4節