2ヶ月ぶりの松戸市博物館の記事です。
【前回までのあらすじ】
「団地大好きっ子」のでれすけは、千葉県松戸市にある「松戸市立博物館」に行ってきました。
そこには、公団・常盤平団地がそのまま再現展示してあります。
今まで、ブログ上において、昭和30年代築の「公団団地」の玄関や風呂についてダラダラと紹介してきましたが、今回は、様々なドラマをはらんだ「ダイニング・キッチン」についてのお話しです…。
さて、今回は「公団団地のダイニング・キッチン」です。
この「公団仕様」のダイニング・キッチンは、様々なドラマがあります。
ちなみに、今では一般的な用語である「ダイニング・キッチン」と言う言葉は、「ダイニングルーム」と、「キッチン」をあわせた和製英語で、日本住宅公団(公団)内部で使用され始めた言葉なのです。
(さすが、公団)
公団団地が建て始められた昭和30年代初頭、【台所】の流しは一般的に「人造研ぎ石(通称:ジントギ)」という素材で作られていました。
この「ジントギ」、大変割れやすく、食器を落としてしまっただけでもヒビが入ってしまったりしたそうです。
公団団地の中でも、ごくごく初期の団地の流しには、この「ジントギ」製の流しが使用されていましたが、先に述べたような短所があるため、ステンレススチール製の流しを導入することになりました。
しかし、ステンレススチールの流しを設備するには、コスト面、製造技術面、両者に問題がありました。
さらに、当時の公団住宅の標準間取りであった「2DK」。
床面積は13坪、住宅一戸当たりの建設費はおよそ70万円だったのです。
1センチ、1ミリたりとも無駄に出来ない間取り、一円たりとも無駄に出来ない建設費。
これでは、ステンレス流しを標準設置することはできません。
しかし、公団の初代住宅計画部課長の方が先頭となり、ステンレス流しの大量生産に成功し、公団団地の標準装備となったのです!
ちなみに、この辺のお話は、NHKで以前放送されていた「プロジェクトX 挑戦者たち ~妻へ贈ったダイニングキッチン 勝負は一坪・住宅革命の秘密~」でも放送されましたので、興味を持たれた方は、DVD化していますので、是非とも見てください
(…でれすけは別にNHKの回し者ではありませんよ)
さて、本題です。
当たり前のように、「ダイニングテーブル」が写っていますが、この当時、ダイニングテーブルはまだ一般的ではありませんでした。
まだまだ「ちゃぶ台」時代の昭和30年代初頭に、公団の2DKの住宅設計の特徴として、食事室と寝室を別にする「食寝分離」が実現されたことがあげられます。
ダイニングキッチンには、ダイニングテーブルが置かれ、従来のご飯と味噌汁の朝食から、「パンとコーヒー」の朝食に変化して行ったのです。
公団の団地により、日本人の生活が「欧米化」したと言っても過言ではありません。(…と、でれすけは思います)
これが「公団仕様」のステンレス流しです。
換気扇は付いていませんが、入居者が希望によって取り付けられるようになっています。
換気扇は、コストの面で標準設備にできなかったのです。
おたまなどをひっかけるハードボードもいい感じです
公団の棚は、2段あって、下段は「水きり用」上段は「戸棚」になっていました。
…でも、大体の家庭は、戸棚が高すぎて使用していないんですが
炊飯器と冷蔵庫。
炊飯器…というか「電気釜」といったかんじですが、東芝製のものです。
冷蔵庫は松下製。
冷蔵庫には「栓抜き」がついています!
なんて機能的!!!!!!!!
最近の冷蔵庫も、こういう機能を付けて欲しいものです。
さて、最後になりましたが、ステンレス流しのプレート。
これは結構新しい方の型です。
でれすけの住んでいた団地は、もっと旧式でした。
とにもかくにも、今、みなさんが当たり前のように「ステンレス流し」を使用できるのも、公団の知恵と技術の賜物なのです。
そんなわけで、久々の松戸市立博物館編でした。
(…書きたい事が20%も書けなかった…)
【前回までのあらすじ】
「団地大好きっ子」のでれすけは、千葉県松戸市にある「松戸市立博物館」に行ってきました。
そこには、公団・常盤平団地がそのまま再現展示してあります。
今まで、ブログ上において、昭和30年代築の「公団団地」の玄関や風呂についてダラダラと紹介してきましたが、今回は、様々なドラマをはらんだ「ダイニング・キッチン」についてのお話しです…。
さて、今回は「公団団地のダイニング・キッチン」です。
この「公団仕様」のダイニング・キッチンは、様々なドラマがあります。
ちなみに、今では一般的な用語である「ダイニング・キッチン」と言う言葉は、「ダイニングルーム」と、「キッチン」をあわせた和製英語で、日本住宅公団(公団)内部で使用され始めた言葉なのです。
(さすが、公団)
公団団地が建て始められた昭和30年代初頭、【台所】の流しは一般的に「人造研ぎ石(通称:ジントギ)」という素材で作られていました。
この「ジントギ」、大変割れやすく、食器を落としてしまっただけでもヒビが入ってしまったりしたそうです。
公団団地の中でも、ごくごく初期の団地の流しには、この「ジントギ」製の流しが使用されていましたが、先に述べたような短所があるため、ステンレススチール製の流しを導入することになりました。
しかし、ステンレススチールの流しを設備するには、コスト面、製造技術面、両者に問題がありました。
さらに、当時の公団住宅の標準間取りであった「2DK」。
床面積は13坪、住宅一戸当たりの建設費はおよそ70万円だったのです。
1センチ、1ミリたりとも無駄に出来ない間取り、一円たりとも無駄に出来ない建設費。
これでは、ステンレス流しを標準設置することはできません。
しかし、公団の初代住宅計画部課長の方が先頭となり、ステンレス流しの大量生産に成功し、公団団地の標準装備となったのです!
ちなみに、この辺のお話は、NHKで以前放送されていた「プロジェクトX 挑戦者たち ~妻へ贈ったダイニングキッチン 勝負は一坪・住宅革命の秘密~」でも放送されましたので、興味を持たれた方は、DVD化していますので、是非とも見てください
(…でれすけは別にNHKの回し者ではありませんよ)
さて、本題です。
当たり前のように、「ダイニングテーブル」が写っていますが、この当時、ダイニングテーブルはまだ一般的ではありませんでした。
まだまだ「ちゃぶ台」時代の昭和30年代初頭に、公団の2DKの住宅設計の特徴として、食事室と寝室を別にする「食寝分離」が実現されたことがあげられます。
ダイニングキッチンには、ダイニングテーブルが置かれ、従来のご飯と味噌汁の朝食から、「パンとコーヒー」の朝食に変化して行ったのです。
公団の団地により、日本人の生活が「欧米化」したと言っても過言ではありません。(…と、でれすけは思います)
これが「公団仕様」のステンレス流しです。
換気扇は付いていませんが、入居者が希望によって取り付けられるようになっています。
換気扇は、コストの面で標準設備にできなかったのです。
おたまなどをひっかけるハードボードもいい感じです
公団の棚は、2段あって、下段は「水きり用」上段は「戸棚」になっていました。
…でも、大体の家庭は、戸棚が高すぎて使用していないんですが
炊飯器と冷蔵庫。
炊飯器…というか「電気釜」といったかんじですが、東芝製のものです。
冷蔵庫は松下製。
冷蔵庫には「栓抜き」がついています!
なんて機能的!!!!!!!!
最近の冷蔵庫も、こういう機能を付けて欲しいものです。
さて、最後になりましたが、ステンレス流しのプレート。
これは結構新しい方の型です。
でれすけの住んでいた団地は、もっと旧式でした。
とにもかくにも、今、みなさんが当たり前のように「ステンレス流し」を使用できるのも、公団の知恵と技術の賜物なのです。
そんなわけで、久々の松戸市立博物館編でした。
(…書きたい事が20%も書けなかった…)