スコティッシュ・フォールドのひとりごと

スコティッシュ・フォールドの「ひー(オス・19歳)」とその妹「こっちゃん・11歳」、その飼い主「でれすけ」のブログ

父ちゃんの足元。

2008年03月31日 | 「『ひー』のこと」
ここ最近「ひー」は、「ひー」の父ちゃんの足を枕にして寝ます。

そのお陰で、「ひー」の父ちゃんは、朝、目が覚めると足がしびれて仕方が無いようです。

でも、「ひー」があまりにも可愛いので、足を枕にする事を許してしまう、親バカの「ひー」の父ちゃんなのでした…。

公団三鷹台団地。

2008年03月26日 | 「団地・建物・給水塔」
前回、「公団牟礼団地」へ行ったその足で、近くの「公団三鷹台団地」へ行ってきました。

「公団三鷹台団地」は、牟礼団地と同様、三鷹市牟礼ににある公団(現・UR)の団地です。

昭和37年完成の賃貸団地で、4~5階建ての中層棟と、2階建ての商店の入った棟で構成される団地です。



まずは、案内板です。↓↓



南向きにズラリと並んだ配置の団地です。

縦に長~~い団地で、団地の南北の端から端までは、かなりの距離があります。

団地の中に東西に伸びる道路は、かなりの交通量があります。



悲しい事に、この団地も「建て替え」対象となっており、↑↑の案内板のうち、現存している棟は、東西に伸びる目抜き通りよりも北側の棟だけでした。

それよりも南側の棟は、商店が入った棟以外は、取り壊しが終了していました。






現存する棟の入り口です。

歩車分離が徹底されている団地で、安心して歩道を歩くことができます。

みどり豊かで、心が和みます。





牟礼団地の分譲棟とは異なり、ベランダが突き出した作りになっています。





住棟番号。

小さいタイルで番号が埋め込まれています。

公団団地の住棟番号の「字体」の可愛さにググッときます。

でれすけの住んでいた団地は、このタイルが「ブルー」でした。






これが「ダストシュート」。

使用中止後も、撤去されずにいたようです。






そして、「配電盤」。

円い窓がチャンーミング♪♪






ドア。

のぞき窓の大きさにググッときます。








ここは牟礼団地とは異なり、「庇(ひさし)」のあるタイプの棟です。







公団仕様の街灯は健在。







誰もいないプレイロット。







入居者の転居が完了した階段の入り口は、閉ざされていました。







木製のサッシ。







タチイリキンシ。







本当に、樹木がよく手入れされた団地です。

50年前の公団の造園担当の方の、夢と希望、そして理想が実っています。







この棟も、退去が完了しました。







商店が入っていた低層棟。

静かに、取り壊されるのを待っています。








50数年前、敗戦後の日本の夢と希望を乗せて設計・建設された公団住宅。

今、その役割を静かに終えようとしています。


さようなら。。三鷹台団地。。。。

猫の見えない色。

2008年03月26日 | 「『ひー』のこと」
猫さんは、青と緑の区別はつきますが、「赤」は、認識できないそうです。

最近の研究によると、「赤」を「みどり」に置き換えて見ているようなのですが、まだはっきりとは分かっていません。

先日、「ひー」は、赤い色のひもを飲み込んでしまい、大事には至りませんでしたが「ひー」の父ちゃんとでれすけはヒヤリとさせられました。

一般的に、猫の飼い方の本には「色の識別ができなくても問題なし」と書かれていますが、「ひー」には当てはまらないようです。

家中のありとあらゆる「ひも類」と「赤いもの」をあわてて片付け、猛烈に反省したでれすけなのでありました。


公団牟礼団地。

2008年03月25日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回は「公団牟礼団地」です。

(※前回の「公団 若松2丁目団地」と同様、現・URを「公団」と表記します)




東京の閑静な住宅街、三鷹市牟礼にある「公団牟礼団地」。

この団地は、昭和30年に発足した「日本住宅公団東京支社」初の「賃貸団地」です。

言い換えれば、「東京初の公団団地」。

団地好きの間では、として崇められている団地です


「公団牟礼団地」は、昭和31年に完成し、同年8月に入居開始となりました。

分譲棟は1~6号棟、それ以降の棟は賃貸棟となっていました。

入居開始当時の倍率は驚くほど高く、宝くじに当たるより難しい…と言われていました。

ちなみに、この団地は、以前、「伊東家の食卓」でも取り上げられたことがあるほどの、素晴らしい団地です。


実はこの「牟礼団地」、でれすけが幼い頃住んでいた団地ととても良く似ていたこともあり、でれすけはかなり熱烈な「牟礼団地ファン」でもありました。

しかし、悲しいことに、「公団牟礼団地」も、50年以上の歴史に、今、幕を閉じようとしています。


そんな訳で、でれすけは、先日、「公団牟礼団地」に見納めに行ってきました。

・・・が、しかし!!!






見ての通り、分譲棟以外は全て取り壊されていたのです

おまけに、既に新しく立て替えられた棟まで建っていたのです





「給水塔くらいは、まだあるかな

…という、でれすけの淡い期待は崩れ去りました。

そこにあったのは、都会ではありえないほどの広々とした土地と、瓦礫の山、山、山



もう、どこを捜しても、

「ツタの巻きついた味のある給水塔」も、
「歴史を感じさせる佇まいのスターハウス」も、
「オレンジのパネルが眩しいベランダ」も、
「珍しい南側に階段室のある住棟」も、
「要塞のような単身者棟」

見当たりませんでした。


全て、なにもかもが、無くなっていました。





唯一の救いは、まだ分譲棟だけは健在であったこと



「庇(ひさし)」の付いたタイプの団地が多い中、でれすけは写真のような「庇(ひさし)」のないタイプの団地が好みです






冬の青空に、「公団ホワイト」のペンキが眩しい

この「いかにも公団」な配色に、ググッときます

5号棟横、桜が咲いたらきれいだろうなぁ~



分譲棟付近の桜の木は健在でしたが、スターハウスがあった付近(8号棟周辺)の桜の木は、伐採されていました。

50年かけて育ててきた植物が、勿体無いなぁ…








公団仕様の街灯も、もうあと10年もすると、みられなくなってしまうのかもしれません









分譲棟は、階段室が北側にあります。

住棟番号もいい感じです





今回、以前記事に書いた「三信ビルジング」と全く同じ状況でした。

もう少し、早く見納めに来るべきでした…

本当に、でれすけの人生は後悔ばかりであります

今回の教訓

「後悔先に立たず」。


「公団牟礼団地」の賃貸棟は、無くなってしまいましたが、この地に素晴らしい団地があったということを、私は一生忘れません

江戸東京たてもの園~特別展と前川國男邸~

2008年03月25日 | 「博物館・科学館・動物園」
でれすけは先日、東京都小金井市の都立小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」という野外博物館へ行ってきました。

昨年末から今年の3月9日まで、この博物館で「移りゆくくらしの歴史~いろりからダイニング・キッチンへ~」という特別展が催されており、「ダイニング・キッチン(DK)」という響きにググッときたでれすけは、早速行って来ました。



この博物館には、数多くの歴史的建造物が移築・再現されており、見ごたえたっぷりの博物館です。

ここの博物館の素晴らしい点は、ただ「建物」の外観をみることができるばかりでなく、「生活情景再現展示」された「復元建造物」の中に、実際に入ることができる…という点です。




特別展は、普段は常設展を行っている「展示室」で行われていました。
展示構成は、

第1章 いろりのある家
第2章 茶の間のある家
第3章 DKのある家
第4章 電化製品の歴史

というのもでした。

特に、「DKのある家」のコーナーには、貴重な資料である「サンウェーブ製 公団団地のステンレス製流し」が展示されていました。

また、公団蓮根団地(東京都板橋区)の間取りが床に再現され描かれており、実際にその上に乗ることもできるように工夫されていました。

しかし、展示の仕方が杜撰で、せっかくの貴重な資料が台無しでした。
しかも、展示室には学芸員が1人しかおらず、質問しにくい上、あまり特別展に関する知識が無いようで、でれすけは少しがっかりしてしまいました…

でれすけが学芸員だったら、もっとこれらの資料を、効果的に展示するのに…と思いつつ、野外展示へ向かいました。




今回は、「野外展示」の中でも一番有名な建物、「前川國男邸」を紹介します。

前川國男氏は、日本を代表する有名な建築家です。



まずは、入り口にある邸宅と間取りの説明です↓。






前川氏の設計した建物一覧の一部です↓。

ちなみに、今回、でれすけが50以上もある野外展示の中から、なぜ「前川邸」を選んだのかと言うと、




↑の写真を見てもお分かりの通り、前川氏は

「日本住宅公団 テラスハウス」

を設計しているからです

団地好きのでれすけにとって、前川氏はまさに




さてさて、脱線しました
まずは、前川邸の外観です



この家は、日本の近代建築の発展に貢献した建築家前川國男の自邸として、品川区上大崎に1942年(昭和17年)に建てられた住宅です。

でれすけが見に行ったこの日、たまたま某大学の建築学科の学生さんの集団が見学に来ており、皆、『前川國男』と書かれた表札を触っていました

建築学科の学生さんにとっても、前川氏はのようです

でれすけも、何かご利益がありそうなので、こっそり触っておきました




この建物は、戦争体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。

外観は、切妻屋根の和風なつくりです。



この屋根の形が、どことなく前川氏が設計した公団団地のテラスハウスを思わせます






室内のようすです。



居間には太陽の光がサンサンと注ぎ、とても明るく、実際の床面積よりも広く感じます




居間の反対側。



本当に「戦前に設計された建物なの」と疑いたくなるくらい、モダンな内装です





キッチンもとてもおしゃれです



壁から直接「蛇口」が出ているところが、時代を感じます

一緒にたてもの園に行った「ひー」の父ちゃんも、前川邸には感心しきりの様子でした


ここには、前川邸のほかにも「高橋是清邸」や「子宝湯」なんかもあります。

でれすけ的には、【】の博物館でした。





おまけ


小金井公園内は、梅が満開でした



詳しくは、コチラ

【江戸東京たてもの園ホームページ】
http://www.tatemonoen.jp



やさしい「ひー」ちゃん。

2008年03月24日 | 「『ひー』のこと」
「ひー」のお気に入りのおもちゃに、「ネズちゃん」というものがあります。





これが「ネズちゃん」なのですが、大好きすぎて、ガブガブし過ぎて、すでにボロボロです










そんな「ネズちゃん」に、「ひー」は、エサを分けてあげていたのです

あまりの衝撃に、思わず写真を撮ってしまいました


























「ネズちゃん」、えさ食べてます









ネズちゃんにまで、えさを分けてあげるなんて、とっても優しい「ひー」なのでありました

公団若松2丁目団地。

2008年03月23日 | 「団地・建物・給水塔」
この前の「松戸市立博物館」の記事で、「公団団地」について色々と述べてきましたが、今回は、「実際の公団団地」についてです。






でれすけは先日、千葉県船橋市にある北欧家具のIKEAに行ってきました。

そのついでに、IKEAのすぐ隣にある公団(正しくは現・URですが、ここでは公団と表記します)若松2丁目団地を見てきました。




「団地に着いたら、まず案内板を見ましょう」(By『団地への招待』)↓




京葉線の南船橋駅に程近い場所にある「若松団地」は、団地の中にスーパーや整骨院、保育園、幼稚園、飲食店、郵便局などがあり、そこが「1つの町」と言った感じの雰囲気の団地です。

5階建ての中層棟と、7階建ての高層棟が40数棟あるようです。







この団地で、一番目を引くのが「給水塔」

「給水塔」とは、

『給水に必要な水圧を得るために建てられた水槽を備えた塔(広辞苑)』のこと。

最近のマンションなどは、屋上にタンクが載せられていることが多いのですが、団地には、様々な形の「給水塔」が建てられており、「団地のシンボル」とも言える建物が、この「給水塔」なのです

大体の団地は、「無地」の給水塔なのですが、「若松団地」は珍しく、

「宇宙飛行士が宇宙遊泳している絵」

が、描かれています。

まさに、タイムリーな絵です






「給水塔」の絵は、見る角度によって異なります。

こちら側(駅側、すなわちIKEAの逆側)は、「カモちゃん」のマークが書かれています。

この「カモちゃんマーク」、「日本住宅公団」が「宅地開発公団」と1981年に統合し、「住宅・都市整備公団」へと生まれ変わった際に誕生したキャラクターなのです

…でれすけの家には、なぜか「カモちゃん貯金箱」があります

団地の掲示板に、今年の3月から3ヶ月かけて、「給水塔」の外壁塗り替えを行う…と書いてあったので、もしかしたら、この「カモちゃんマーク」も、これで見納めかもしれません
3月22日現在、未だ外壁塗り替えに着工している様子はありませんでしたが…





「マル住、見~っけ!!!」



松戸市立博物館のマンホールとバージョンが違いますが、これも「マル住」マンホールです

こちらの方が、「マル住」が際立っています

このTシャツが市販されていたら、絶対にでれすけは買うでしょう…






「マル住」を拡大すると、こんなかんじです。

見れば見るほど、そのデザイン性の高さに惚れ惚れします







この棟は、IKEAの目の前の棟です。

IKEAから丸見えな部分は、まるで公団とは思えないような、ポップな色合いに塗られています。

昭和40年代築の団地には、全く見えません

逆に、味があって、おしゃれにすら感じます







IKEAから見えない部分は、ちょっと手を抜いてる感じですが…



とりあえず、実際の団地を紹介しました


「だから何?」と言われたら、それまでなのですが