スコティッシュ・フォールドのひとりごと

スコティッシュ・フォールドの「ひー(オス・19歳)」とその妹「こっちゃん・11歳」、その飼い主「でれすけ」のブログ

子猫時代の「ひー」の寝相。

2008年08月31日 | 「『ひー』のこと」
先日、子猫時代の「ひー」の写真を見ていたところ、「ひー」は子猫時代から不思議な寝相で眠っていた…ということに気付きました

当時、あまり猫に接した事が無かったでれすけは、それが「普通」だと思っていました…

しかし、今、見ると

非常に「変」

であることが良く分かります




例えば、これ



苦しくないのでしょうか?







これは、ソファーの溝にすっぽりはまりながら眠っています



子猫時代から寝相が悪い「ひー」なのでありました…


間違いさがし。

2008年08月31日 | 「『ひー』のこと」
生後9ヶ月の頃の「ひー」の写真です

以下の2枚の写真は、似ているようで一ヵ所異なる部分があります

さて、どこでしょう???





その1





その2





1歳のお誕生日前は、まだまだこんなに「赤ちゃん顔」だった「ひー」も、もうすぐ

3歳

になります


猫の成長の早さには、本当に驚かされます

8月31日~カツオとまる子の苦難の日~。

2008年08月31日 | 「『ひー』のこと」
今日は8月31日です。

毎年、磯野カツオが夏休みの宿題が終わらず、波平やらマスオやらの手を借りて、怒られながら宿題をする…という日です。

多分、まる子も怒られながら宿題をするはずです



…と、この風景が当たり前で、何の疑問も持たずに育ったでれすけなのですが、3年間北海道で暮らして驚いたことがありました。



それは、北海道ではお盆が終わったらすぐに学校が始まるということ。


既に、8月31日には「学校モード」になっているのです



そんな訳で、北海道の子どもから真剣に、

東京って、8月31日まで夏休みって、本当??

…と質問されたときには、本当に驚きました。



きっと、北海道の子どもたちは、テレビを見ながら

何でカツオの学校は8月31日まで夏休みなんだろう??

と疑問に思っていたに違いありません



しかし、ここ最近、カツオの住む東京でも、夏休み期間を短縮する…という流れになってきているようで、23区内で31日まで小学校が休み…という区は、少数派になっているそうです


そのうち、サザエさんの夏の風物詩

カツオが8月31日に宿題に苦労する

…という話は、見られなくなってしまうのかもしれません




一方、我が家の「ひー」は、相変わらず、8月31日でも関係無く

万年夏休みモード

なのでありました…

寝苦しい日の「ひー」。

2008年08月28日 | 「『ひー』のこと」
ここ最近、雨が降っているので窓を開けることが出来ず、家の中がムシムシとしています。

「ひー」にとっては、寝苦しいようで、涼しい場所はないか家中を徘徊しています






「暑いニャ~







「あ~~ダルいニャ







「暑い~~


寝返りばかり打って、なかなか寝付けない「ひー」なのでありました


公団赤羽台団地 ~番外編~

2008年08月19日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、前回までは

公団赤羽台団地

について書きましたが、今回はその番外編です。







でれすけは、地図が好きで、毎年毎年地図を購入しています。

そのため、以前と比べてどれだけ変化したのか、過去の地図を見て調べることがあるのですが、今回、赤羽台団地を見に行く下調べをしていたところ、ある事に気付きました。

団地の東端にあるはずの小学校の記載が空欄になっているのです。


今回の公団赤羽台団地のブログの~その1~に、団地は2つの小学校と1つの中学校に囲まれている…と書きましたが、正確に言うとそれは誤りだったのです…。

凄く気になったので、真相を調べてみると…。






公団赤羽台団地の東端にある「赤羽台東小学校」です。








どこにでもありそうな小学校ですが…。








何かがおかしい…。















!!!!!





そうです。この赤羽台東小学校は、



閉校


となっていたのです!!!!













校門の横にはひっそりと、まるで墓標のように学校の記念碑が建てられていました。

そこには、

昭和39年から平成17年の41年間に2652名がここからはばたく

…と記されていました。








団地の歴史と共に、2652名の母校の歴史に幕が下ろされました。



公団赤羽台団地 ~その4~

2008年08月19日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回も前回に続き

公団赤羽台団地

です。



前回は「スターハウス」について書きましたが、今回は団地のスタンダード「中層フラット棟」についてのお話しです。







…と、中層フラット棟のお話を書こうと思ったのですが、悲しいことに取り壊しが進んでおり、特徴的な棟が既になくなっていました…。

なので、特に書く事がありません…。

…と、言う訳で、ちょっと団地をウロウロして撮影した写真を載せてみます。







公団赤羽台団地内の駐車場です。

公団赤羽台団地は、建設当時増えつつあったマイカー所有者のために、公団で初めて団地敷地内に駐車場を設けたことでも有名です。







この棟は、階段が横向きに作られています。

他の団地ではなかなか見られない作りです。

公団赤羽台団地では、実験的に様々なタイプの住棟が建てられました。







住棟番号は、一般的なものです。

庇のあるタイプの住棟です。







団地は続くよどこまでも…。








38号棟とは異なった形の7号棟です。

本当に色々なタイプの住棟のある団地でした…。



この団地の建替えも急ピッチで進んでいます。

本当に寂しいものです…。



公団赤羽台団地 ~その3~

2008年08月19日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回は、

公団赤羽台団地

の続きです。

前回の「直交配置」の話に続き、今回は団地の華「スターハウス」についてです。

「スターハウス」は、ポイントハウスの一つで、通常の中層フラット棟とは形の異なるY字型の団地です。

この赤羽台団地には8棟ものスターハウスが建てられています。






スターハウスは、団地のメインとなる入口付近に建てられています。

セミの鳴き声を聞きながらスターハウスの入口へ向かう小道を歩くと、そのまま幼少時代にタイムスリップしてしまいそうな感覚に襲われます。







住棟間隔が広々としています。

こんな贅沢な配置、最近の団地では絶対に見る事はできません。









雨上がりの翌日に行ったので、空は澄んで、スターハウスを引き立てていました。

団地の竣工時に植えられた木々は、今やスターハウスを追い抜こうとしています。






 

公団仕様の街灯と一緒に。

ここのスターハウスは、公団前原団地公団常盤平団地に似ているような気がします。

でれすけの住んでいた団地は、公団桜堤団地公団西経堂団地のスターハウスに似ていました。









ここのスターハウスたちも、空に帰る日が、刻一刻と近付いています。








住棟間のゆとりと、緑の多さには本当に驚かされます。







  

以上、「スターハウス」でした。





公団赤羽台団地 ~その2~

2008年08月18日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回は前回に続いて

公団赤羽台団地

です。

公団赤羽台団地」は、昭和38年(1963年)に完成した東京23区内初の大規模団地で、全55棟、総戸数3373戸の団地です。





赤羽台団地」は、ほぼ直線の区画で設計されているため、横一直線に住棟が連なる単調さを避けるため、「直交配置」といわれる住棟の向きを90度変えた配置や、中心に広い空間をとる「囲い込み型の配置」など、住棟間にアクセントをつけています。

公団団地平行配置であるのが一般的なのですが、この赤羽台団地は23区と言う都心部に建設されたこともあり、コンセプトに「高密度」に建てるということが挙げられ、公団のモデル団地となるべく、様々な形の住棟が建てられました。





この51号棟52号棟L字型の53号棟は、「囲い込み型」をしています。

住棟に囲まれた空間は、プレイロットになっています。







室内型の片廊下をもつ50号棟です。

この50号棟1階は商店街になっています。







同じく1階に商店街のある53号棟

この53号棟は、単身者棟です。

内部にはエレベーター単身者用の共同浴場があります。








「松」が美しい団地です。

この住棟は、階段室の場所が珍しい場所にあります。








50号棟のまわりにも「」が植えられています。








53号棟の階段には、洗濯物が干してありました。
直交配置のため、ベランダが南向きではないためです。




とりあえず、今回はこの辺で。

次回は、赤羽台団地の「団地の華」スターハウスについて書く予定です




公団赤羽台団地 ~その1~。

2008年08月18日 | 「団地・建物・給水塔」
今回の団地シリーズは、

公団赤羽台団地

です。

東京都北区にある「赤羽台団地」は、昭和30年代に日本住宅公団によって建てられた団地です。

この赤羽台団地がある場所は、団地が建てられる以前は「国有の旧陸軍被服廠跡地」であり、昭和33年に払い下げられました。

この団地、いままで紹介してきた公団団地と比較して、様々なタイプの住棟が存在しています。

団地好きにとって、有名な団地の1つに数えられる「赤羽台団地」ですが、この団地も、現在、急ピッチで

建替え

が進められています…。

そんな訳で、最後の姿をカメラに残すべく、団地に行ってきました。



まずは、団地の「案内板」です。



団地は、2つの小学校と1つの中学校に取り囲まれるように配置されています。

団地を建てた当初(昭和37年頃)は、団地内に、たくさんの子どもの声が溢れていたに違いありません。

以前紹介した「都営桐ヶ丘団地」は、この団地に隣接しています。

手書きの案内板がいい味出していますが、「URのロゴ」に修正してある点がイタダケません






別のタイプの案内板。

木漏れ日の眩しい8月のとある日に行ってきました…






団地にはおなじみの「ペット禁止」の看板

…でも、この団地の看板は、ちょっと違うようです。

1つの看板に、

① 駐車禁止
② スピードの出しすぎ禁止
③ ペット禁止

…と、3つの項目がかかれています。

ちょっと欲張りすぎじゃありません????








団地内のプレイロット。

ここの団地には様々なプレイロットが存在しますが、このプレイロットの風景を見た瞬間、でれすけは泣きそうになりました

昔、でれすけが住んでいた公団団地のプレイロットにあまりにもそっくりだったからです

でれすけが以前住んでいた団地は、既に建て替えが完了に近付いているのですが、このプレイロットにそっくりな公園は、建替え工事開始後、真っ先に潰され、工事関係者のプレハブ事務所が建てられました







奥に進むと不思議な形の遊具が置かれています。







このプレイロットの名前は、「お化け公園」といいます(苦笑)

ネーミングセンスに脱帽です…

ちなみに、でれすけの住んでいた公団団地の公園には名前が無く、団地の子どもが勝手に名前を付けていました。

5号棟の隣の公園は「横の公園」、団地中央の公園は「中央公園」、14号棟裏の公園は「電車の見える公園」、6号棟と7号棟の間の公園は「ハコブランコ」などなど。不思議と団地の子どもの間では「常識」として通じていました。








そして、お決まりの「マル住マンホール」。







アップにしてみました(笑)




…結局、今回は「団地」の建物の紹介まで至りませんでしたが…

次回に続きます

公団のカモちゃんず、絶滅。

2008年08月14日 | 「団地・建物・給水塔」
以前、公団若松2丁目団地についてブログを書きました。

そこで、「給水塔の外壁塗り替え」の事について触れましたが、先日、IKEAに行ったついでに団地を見てきたところ、外壁塗り替えがすでに終了し、

カモちゃんずが絶滅

していました




以前、カモちゃんずが描かれていた面には、「UR」のロゴが描かれていました。

はっきり言って、でれすけはこの「UR」のロゴがキライです。

何だかこの「UR」のロゴは、でれすけの不安焦燥感を煽るのです…

この抽象的な「ヒトガタ」のようなデザインは…

昔、「箱根彫刻の森美術館」の彫刻が「怖い!!」と感じた感覚に似ています

きっと、でれすけには何かトラウマがあるに違いありません








URのロゴの部分のアップです。

逆の面の「宇宙飛行士の絵」は、まだまだ健在でした