今、アメリカでは連邦最高裁判事の指名承認を巡って
共和党と民主党との間で激しいバトルが続いている。
見ていてわかる通り、何が起こるかわからない。
そして、それは正しいからとか相応しいからというわけではない。
勿論、言葉ではそういう。
しかし、事実はそうではない。
要するに双方のものの見方、考え方が違うことからくる目的の違いに
よるものである。
この世界、絶対というものはない。すべて相対的なものである。
だとすると、それぞれ信ずる(したい)ところに従って行動するしかない。
そういう場合、流れ、勢いで物事は決まる。
だから勢い負けしないことだ。
すべてはタイムリミットがある。そこから逆算していろんな場合をシュミレーション
する。要所要所で細かなタイムリミットがある。
その一つ一つを決然と決めることだ。焦点を常に一つに置いたままで。
どうやら今週末に最終戦がセットされたようだ。
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個人の争いでも同じである。
現実の争いは言いがかり的なことの方が多いのである。
言いがかりをつける人というのは、どちらかというと好戦的で自己中心的であることが
多い。
こういう相手と戦うときは、覚悟を決めて、取り組むことだ。
説得できるなどと甘い考えを持ってはならない。
判断する第三者が公平に正しく判断できると思ってもいけない。
言いがかりをつける人というのは、言いかかりのつけ方がうまいのである。
つまり、言いがかりをつけ慣れているということである。
ということは、騙すのがうまいということなのである。
したがって、人の好い第三者は簡単に騙されてしまうということである。
だから、綿密に練られた戦略が重要なのである。
大きな戦略を決めるときは、詳細が重要なのである。当該ケースには一つしかない
preciseなものでなければならない。
詳細が重要なのである。
「God is in details.神は細部に宿る。」ということ諺は正しくこういう場合に
当てはまる。
そして、個々の動きの過程では柔軟さがこれまた重要なのである。
明確な戦略と柔軟な対応、この相反するものをコントロールすることである。
相手のペースに乗らないことである。
そうすると、不思議といつの間にか流れが出来ているのである。
今日は、差し当たりは、いい日だった。
差し当たりはである。
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そう、人生は、ものごとは、常に動いているのである。
そういう動きの、リズムの繰り返しが人生なのである。
大事なのは決めるときは決めるという慎重な思いきりである。