当家の始祖である世之主と奥方の名前は、このように伝わっています。
世之主・・・真松千代(ままちじょ)
奥方・・・真照間兼之前(しんしょうまがねのまえ)
まず世之主の名前ですが、当家のご先祖さまが1850年に書いた「世之主かなし由緒書」によれば、「真松千代」という名は幼名であるということです。
「真」の文字は士族クラス以上の幼名につけられる接頭語です。
「松千代」の方が名前で、その漢字は思いきり大和風なイメージで、なぜ1300年代の琉球の時代にこのような名前がつけられていたのか、ずっと不思議でした。しかしそれは漢字をベースにした名前の見方。1300年代に漢字が使われていたはずもなく、この「松千代」は後世になって発音に漢字を充てているのですね、きっと。
この漢字を使ったのには、何か意味があってのことか?それとも「ままちじょ」と呼ばれていた名前の音に、適当にそれらしい漢字を充てたのかは不明です。
奥方の名前は難しいですね。この「しんしょうまがねのまえ」の読みは、大正10年に発行された「奄美大島史」という坂口徳太郎氏が書かれた本の中にフリガナがありました。
当家の由緒書原本にはフリガナもなく、正直どのように発音されていたのかは全く不明でした。
私はこの名前を「真照間兼之前:まてるまかねのまえ」と読んでいました。もちろん根拠はありませんが、真松千代の読みが訓読みであるので、ならば奥方も訓読みなのではないかと思っているのです。それに、沖縄のうるま市にある地名の照間はやはり「てるま」と読みますのでね。
どちらが正しいのか?もしかしたら島方言での読み方が別にあったのかもしれませんが、そこは伝わっておりません。
奥方の名前も、本来呼ばれていた名前に、後世になって漢字が充てられたということで考えた場合、まず名前の骨格を見てみました。
接頭語の「真」は世之主と同じです。そして「兼」の文字も同様に、接尾語で士族以上の家の子供の幼名に使う文字で、「照間」という名前の文字を「真」と「兼」が挟んでいるのです。接頭語と接尾語を使っている幼名は王族の子供につけられる名前ですね。奥方は中山王の姫であったといいますから、名前はそれらしいものになっています。そしてこの名も幼名だったということです。
では、残りの「之前」ですが、中国語では「以前」という意味があるようです。
これを採用した場合、以前の名は「真照間兼」だったというようなニュアンスでしょうか。
それともう1つ、「之前」を「~のなまえ」と発音していたのが、いつのまにか音が抜けて「~のまえ」に変わっていったのではないかという、強引な考察です。
現在は「真照間兼之前」全体が奥方の名前になっていますが、本来の名前は「照間」であったのではないかということです。
二人の名前の漢字表記がいつ頃からあったのかは、全く不明です。
口碑伝承だけで伝わっていた名前を漢字表記にしたのは、世之主由緒書を書いた時だったのかもしれません。それ以前の記録はありませんから、全くの憶測ですが、その可能性は高いと思います。
名前について、新たなことが分かれば追記したいと思います。