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先祖を探して

Vol.213 世之主城の築城伝説(1)

和泊町内城にある世之主城跡。現在は世之主神社が建っていますが、1300年代後半に、琉球の北山王の二男として生まれた真松千代が、父である北山王の命によって沖永良部島の島主(世之主)として渡海し、四天王の1人であった築城の名手と言われて後蘭孫八に命じて築城したといいます。
世之主は初めは玉城村の金之堂 (ふばどう)に館を造って居住していたところ、大城村川内の百(ひゃー) という者と一緒に古里の下の与和の海で魚釣りをしていたところ、百が海上から古城地の場所を指して、あの地に城を作ってはどうかと提案したことから、後蘭孫八に命じて3年かけて築城したといいます。

この地は前回のVol.212で書きましたように、昔は相当に山深い場所だったようです。前回の記事を読んでくださった島出身の方から以下のコメントを頂きました。

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子供の頃は小学校に行くまでの道も獣道みたいな道で小学校中学年の頃に道の拡張工事で道は広くなったが、アスファルトの道ではなくニャーグを敷き詰めた道で車が通る度にホコリが凄かったのを思いだしました。また雨の後のぬかるみが酷くて砂糖キビの運搬車は泥に車輪をとられ進むのに難儀してタイヤチェーンを付けて走っていました。今はどこも舗装されてそのような事は有りませんが道一つ港一つ風景一つとっても島は大きく変わりました。100年前200年前300年前の島はどんなやったんだろう?と時々考える事があります。いつも島の歴史を掘り下げてくれて有り難う。毎回楽しく読ませてもらっています。
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昭和30年~40年頃でもまだこのような状況であったのですから、世之主が生きていた600年も前はいったいどんな景色が広がっていたのだろうかと、思いを巡らせてしまいます。
そんな場所への築城ですから、いくら築城の名手と言われた孫八でも苦労して築城したのではないかと思います。

城は沖縄の今帰仁城と同じように、石を積み上げた城壁が巡らされていたようで、今はわずかに地面に城壁跡の石積が少し見えるのみですが、かつては高い城壁があったといいます。
その石はどこから運ばれたのか?どうやって運んだのか?
そこは謎ですが、山頂を切り開いて平地にし、下界から石を運んだのでしょう。しかし道は人が一人通るのがやっとの獣道でしかも坂道です。伝承によれば、島の島民が全員参加し、一列に並んで下から手渡しで石を山に運びこんだと言います。
本当にそんなことが出来たのかは謎ですが、城があったのは事実でしょう。
しかし残念なことに、どのような建物であったのか? いつまでその城は存在していたのか?といった情報は全く伝承されていないのです。

そしてこの世之主城についてですが、いくつかの謎があるのです。
それは次回に書きます。


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