泉川古墳群の中にある世之主の墓(ウファ)や当家のご先祖様が眠っているチュラドゥール、付近にある3号墓などは、崖に自然に出来た洞窟や人の手によって削って作った洞窟を納骨堂や風葬としてそのまま利用していたお墓とは違い、石工によって石を綺麗に積み上げて門や石垣などを作った少し豪華な作りのお墓です。当時の島の支配層や有力者の家にこのタイプのお墓が多いようです。
そしてこの古墳群のエリアの中に、もう1つ9号墓と呼ばれるお墓が、近年発見されていました。
まるで森の仙人が住んでいる家のようで、上部は三角の屋根のように見える地形で、家の入口の扉が開いているように見えます。お墓だと知らなかったら、訪ねて行きそうになる雰囲気があります
もう少し近づいてみると、三角屋根がはっきり分かりますが、屋根は自然に出来た地形です。
このお墓も納骨堂の前面に庭を持ち、両サイドには石垣が積まれたお墓だったようです。
入口は大きなブロック状の石で囲われ、豪華に仕上げてあります。入口の様子をみると、以前は木の扉があったのではないかと思われます。
中には茶系の口が大きめの厨子甕が蓋が無い状態でいくつか残されています。
その中には埋葬された方々の遺骨も残っています。
さて、このお墓はいったい誰の?どの一族の?どの集落の?ものだったのか。
どうもこのお墓は集落や個人のお墓ではなく、ある一族のお墓なのだそうです。
いつの時代からいつの時代まで使われていたお墓なのかははっきりわかりませんが、この一族のお墓はこの場所から別の山の上の場所に移動し、そして近年になって更に親戚筋と一緒の近代式の墓地に埋葬されています。
江戸末期の方から近代の墓地に眠られているようなので、9号墓を出て山の上のお墓に移動されたのもその頃なのかもしれません。
どういった事情でお墓の移動があったのかは定かでありません。
家の引っ越しによるものなのか?
確かにこの一族は明治期は山の上のお墓の下あたり付近にお住まいでした。引っ越してきたのかもともと住んでいたのかは分かりませんが、その頃に住んでいた付近にお墓を移動されたのは明確です。
そして専門的には分かりませんが、お墓の作りを見ると何か有力者の一族であったのではないかと推測されます。
このお墓については、墓主一族の親戚筋の方からお話を伺いました。この方は、ここがその一族の墓であったことは、その一族の方に直接聞かれていたそうです。しかし詳しいことは分からないということでした。
当家のご先祖様とこの一族は、昔は何か関係していたのではないかと私は考えているのです。
大変興味深い泉川古墳群です。