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先祖を探して

Vol.357 泉川古墳群:8号墓のこと

世之主の墓(ウファ)やチュラドゥールなどの琉球式のお墓が点在している場所は泉川古墳群と呼ばれています。
そこはまるでエジプトの王家の谷のように、小さな島ながら琉球式の古墓が数ケ所存在しており、この島が古い時代は琉球王国の一部であり、琉球文化の中で人々が生活していたことが分かります。

これらのお墓ですが、伝承によれば一番古いものは世之主の墓で、北山滅亡後あたりで1400年代。しかしお墓の調査によればその時代に建築されたと判断できる決定的な結果はまだ見当たらないようです。この辺りは以前にも書いた事がありますし、また別記しようと思います。
今回はその古墳群の中の1つである8号墓と呼ばれているお墓についてです。
島の調査に行った時の報告の記事にも少し書きましたが、新たに分かったことなどを追記します。



このお墓は崖の洞窟を利用したタイプのお墓のようですが、前面をコンクリートブロックで塞いでありますので、それが自然に出来た洞窟なのか、人工的に彫り込んだ穴なのかは現地を見学した時には分かりませんでした。
先日このお墓を昔からご存知の古老にお話を伺ったところ、ここは自然にできた洞窟を利用したお墓だったそうです。
古老が随分昔にこのお墓を見られた時には、コンクリートブロックでは塞がれておらず、中は丸見えだったそうです。
内部には茶色っぽい厨子甕があったようで、厨子甕の中には遺骨が納められていたそうです。
古老はこのお墓が誰のお墓であるのかは、聞いた事がないそうです。

実はこのお墓には大変興味深い話がありました。
なんと、お墓の主は世之主のお墓を作りに来た今帰仁の石工だというのです。その石工がこの島で亡くなったので、ここにお墓があるというのです。
その話は、沖縄の今帰仁に在住の子孫の方がユタに聞いて分かったそうで、平成16年頃にここにやってきて、先祖供養をしてお墓の入口をブロックで塞いだのだそうです。平成16年といえば2004年で今から19年ほど前の出来事です。
どういった経緯で今頃ユタによってその話が子孫の方に伝えられたのかは分かりませんが、実際に子孫の方とユタが一緒にやってきて、ここで先祖供養の儀式と、ブロックで塞ぐ工事をしたのだそうです。

そしてその時の豪華なお供えが、このお墓の崖の上の方に住む家の方にお裾分けがあったのだそうです。
実際にそのお家の方にお話を伺うと、その時のことは覚えていらっしゃいました。現在は他界されているお爺様が対応されたようで、当主ご夫婦は詳しいことは分からないそうですが、その時の様子や宿泊先などはご存知でいらしゃいました。

色々調べてみましたが、現在のところはこの今帰仁から来られたという子孫の方については情報がありませんでした。
もしこの子孫の方にコンタクトがとれて、いつの時代のご先祖様が石工としてやってきたのかが分かれば、世之主の墓の建築時期や歴史の解明につながる可能性があるので、引き続き調査してみようと思います。

事実かどうかは分かりませんが、沖縄の今帰仁からこの場所に眠るご先祖様に辿りつけるとは、かなりの驚きでした。
お墓の内部の調査がなされれば、もう少し分かることがあるのかもしれませんね。専門家による今後の調査にも期待です。





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