島の世之主神社の東側に石橋川という場所があります。海岸からはずっと登ってきた小高い場所になっています。
この場所に、戦に敗れた琉球王が馬に乗って逃げ込んできて、追い詰められたのでその場所から西側にある世之主神社の方をめがけて馬に乗ったまま飛び越えようとしたのだそうです。
もちろん石橋川から神社までは飛び越えれる距離ではありませんので、その王様は死んでしまって、それを祭るために世之主神社ができたのだそうです。
この話は、当家のお爺様の三女にあたる叔母が、島に住んでいた子供の頃に父親であるお爺様に聞いた話なのだそうです。もちろん伝説であって、史実とはされていない話ですが大変興味深い話ではあります。さっそく島の長老や、当家の他の叔父や叔母に聞いてみましたが、誰からも聞くことができなかった伝説です。もしかしたら遠い昔に聞いていたのかもしれませんが。。。島内で一般的には語られなかった秘密の伝説だったのでしょうかね。この記事では秘密の伝説と呼ぶことにします。
伝説というのは、ウィキペディアによると以下の通りです。
主として不思議な事件を不思議なりに、実在する人物名や地名、事件が起きた時代を交えて「事実」として報告する。あるいは、地名や遺跡伝説にみられるように、その由緒を説明するのも伝説である。
日本の民俗学での伝説の定義
民俗学研究においては、便宜上、柳田國男の提唱により伝承文芸(口承文学)の収集例のうち昔話でないものを「伝説」とする定義がされた。
何だか分かるようで分かりずらい伝承と昔話の定義ですが、日本の民俗学的伝説研究を確立した柳田国男氏は、「昔話が童幼の個的な情操の涵養の一面を担うのと対照的に、伝説は集団の一員としての社会性、アイデンティティの獲得を第一義とする。」としています。伝説とは一般にはイワレ、イイツタエなどと称されるもので、実在した人物や事実をもとに土地に根ざした形でアレンジされて伝えられてきたものだというのが私の解釈です。
さて、この叔母から聞いた島に逃げ込んだ琉球王ですが、そんな琉球王がいたの???と、三山統一前からの歴代の王たちについて可能性のある王を探ってみました。
すると、この伝説の王に当てはめることが出来る王が一人だけいました。
私が考える琉球王は、第一尚氏に三山が統一される直前の察度王統の最後の中山王であった「武寧:1356年 - 1406年? 在位:1396年 - 1405年? 」です。
なぜ彼が伝説の王になりうるかというと、以下の理由からです。
①まずこの武寧王は第一尚氏に追われて以降、消息が分からず墓も分かっていない。よって、沖永良部で死亡した可能性も考えられる。
②この時代には沖永良部は世之主が島を統治していたが、奥方は中山王の妃であった「真照間兼ノ前」と言われている。時代関係からみると、奥方の父親は武寧の可能性が高い。よって娘のいる島に逃げ込んだ可能性は考えられる。
しかし秘密の伝説にあるように、世之主神社が琉球王が死亡したから建てられたという点は少し無理があります。なぜなら、この時期はまだ島の島主であった世之主が神社のある地に城を構えて居住していたからです。もちろん、武寧王が亡くなったあとには、世之主自体も世之主伝説にあるように悲劇の死をとげていますので、その後に城があった場所に神社を建てた可能性はあります。
しかし現在の世之主神社は明治初期頃の建立です。その前はお寺があったようで、1470年頃に建立と記事をネットで見つけました。
また玉江末駒「沖永良部史稿本」の禅王寺の説明として次の通りです。
世之主の時代に首里天王寺より観音一体、僧一人を招致して内城に寺社を建てたが、これが禅王寺の始まりで、沖永良部島への仏教伝来の最初であったこと、その後、薩摩谷山郷より禅僧が渡来し布教に従事し、内城の東条氏、宮松氏と受け継がれたが、明治6(1873)年に廃寺となったという。
これをまとめると、世之主自害以前(推定1416年以前)に禅王寺が建立され、1873年までは存在。場所はどこだったのか?城の一角にあったのか?
それ以降は世之主神社となったということである。よって三山統一をした中山王である第一尚氏の命によって武寧王のために禅王寺が建立されたとは考えにくいので、これは何か違った話が別にあるのかもしれないですね。
いずれにしても、琉球王が島に逃げ込んできた話は、可能性のある伝説として新しい情報や発見があるまでは保留にしておこうと思います。
最後にこの禅王寺のことを調べている中で、新しい記事を発見してしまいました。
ネットからの情報ですが、与論島と沖永良部島の寺院の建立時期が、他の島よりも早いのは、琉球の寺院の末寺であり、大島や徳之島、喜界島の寺院は、薩摩の影響のもとに建立されたという歴史的背景による。沖永良部島郷土史資料によると「世之主時代に始めて仏教輸入せらる。平安統氏の記録によれば、首里天王寺より観音一体僧一人を招致して内城に寺舎を建つとあり禅王寺是なり」とある。天王寺は琉球王第十八代尚円王(一四七〇年即位一四七六年卒)によって建立されている。
平安統氏の記録ですか!?当家の先祖がそんな記録を?どこにあるんだろう。
またまた調査することが増えましたね。
だから先祖探しは興味深いのです(^_-)-☆