少し前の出来事ですが、徳之島にご先祖さまが繋がる関東在住の方からご連絡を頂き新たな出会いがありました。お名前をAさんとします。
Aさんは、母方の祖母について生前のお母様から時々話を聞かされたことがあり、ご先祖様に少し興味を持ち、当時大阪在住であった叔母さんに家系図の一部をコピーして送ってもらっていたそうです。
日々の生活の中ですっかり忘れていたところ、最近になって思い出すきっかけがありネットで色々と調べていたところ、こちらのブログに辿り着いたそうで、直接ご連絡を頂いた次第です。
Aさんの祖母は奄美大島で育っており、結婚して福岡に行かれたそうです。生涯を終えるまで福岡で過ごされたとのことで、AさんもAさんのお母様も徳之島のことについては、詳しくは分からないのだそうです。
そしてこのAさんの祖母は、旧姓を「尚 ちよ」とおっしゃるそうです。
ちよさんが嫁がれた家の家系図を拝見させていただきましたが、確かに旧姓は尚という名字になっていました。
読み方を伺うと、「しょう」と読んでいたそうです。
尚といえば琉球王家の苗字です。徳之島の方がなぜ琉球王家と同じ苗字をつけていたのか?
そして本当はご先祖様は徳之島の出身であるが、なぜ祖母さんご一家が奄美大島にいらしたのかは不明とのこと。
しかし徳之島の方にはご先祖様のお墓があったり、祖母のちよさんは自分が亡くなったら徳之島のお墓に入れて欲しいといったことを生前に話されていたそうです。
またAさんのお母様は、生前に色々と不思議な体験をされる体質だったようで、昔のご先祖様にノロがいたというような話を聞いたことがあるとおっしゃっていました。ノロといえば、琉球時代の琉球神道における女性の祭司です。
尚真王の時代に制定された神職で、王府より任命された各地域の有力按司の肉親(姉、妹、妻など)と考えられています。
琉球時代の徳之島には数名のノロがいたと思われますが、尚家のご先祖さまはそのノロの中の一人で、代々ノロ家だったのではないかと思われます。
徳之島には琉球からやってきたという人物の伝承があります。
1562年に首里の侍である譜代高家按司の子孫の者が徳之島大親役を申付けられ、金の簪と紫の鉢巻きを賜り、6名の使者に護衛されて徳之島に舟でやってきて、首里之主と呼ばれていたようです。
もう1つは尚真王(在位1477-1527年)の時代に、その王の息子である王子たちが奄美の島々に派遣されたという説があります。誰であったのかははっきりとはしていないようですが、王子たちの誰かが派遣されていたのではないかという説には私も同感しています。
徳之島の歴史は私が調査をしている沖永良部島の歴史にも通じるところがあります。
この大変に興味深い徳之島の尚家のこと、Aさんのお話などをもとに色々と調べてみましたので、次回に書きたいと思います。