居眠りバクの音楽回想

チェンバリスト井上裕子の音楽エッセイブログ。

ハプニングと向き合う

2010-11-05 00:30:31 | エッセイ
本番では実に色んなことが置きます。

例えば、調律が狂っている。(これに関しては、イタリアで死ぬほど経験しています。先だってのコンクールで、上鍵盤のある音が半音下がっていたし、4フィートが放置されたままだったり、全ての音域でそれぞれ狂っていたり・・・主要な音の爪がないとか・・・まぁ色々です。)

弦が切れる、爪が折れる。ダンパーが落ちる。
楽譜が風に吹かれる。勢いあまって飛ぶ。・・・譜めくりを失敗する・・・等等。

何かが起きた時、その状況にもよるけれど、どうそれと向き合うかは、とても難しい問題です。

例えば、先日のコンクールのチェンバロははっきり言って酷い状態でした。
それをある程度分かって臨みはしたものの、実際起きたハプニングはそれ以上で
私は、状況が飲み込めず、ソリストにとても迷惑をかけてしまったと思います。

具体的に言うなら、二段鍵盤の上鍵盤Cisの音が一音だけ激しく下がった状態でした。
8フィート2本になった時、それはもうこの世のものとは思えない酷い不協和音となってしまいます。

A-durの曲でCisは主要な音の一つなので、もう致命的。

気が付いたときには、もう演奏を始めており、途中で止めることができないので、その悲惨な状態なまま楽章を終わらせなければなりませんでした。

この楽章の後、審査委員長に調律するように言われたのですが
即座に対応できず、調律ピンを探すのを、ソリストにやらせてしまったり
調律に出てきた人が、まともに調律できる人ではないと分かっていたのに
その人にやらせてしまったり、少し落ち着けば自分で出来たことが
何も出来なかったことを、非常に悔やんでいます。

私はチェンバロ奏者としてあそこにいたわけだから、
チェンバロの関わる全ての事に自分で責任を持たなければいけなかったわけです。

ソリストが気持ちよく演奏できるサポートをするはずが
ハプニングに動揺して、負担をかけるような結果になるなんて最悪です。

海外で行われるコンクールを受けるというのは、本当に大変なことで
人それぞれだけれど、人生がかかっている場合もあるし、
とにかく海外にやってくること自体が大変なことなのですから
それを乗り越えて演奏する人の気持ちを考えたら
実力が最も発揮できる環境を整えてあげたいと思うのは当然。

でも、私にはその技量がありませんでした。

今後の大きな課題です。

でも、あの場合、どうすれば良かったんだろう。
まさか、上鍵盤のCisがあんなに狂っているなんて思いもしなかった。

でも、気が付いて弾き終えたとき、
このまま弾き続けるの???と動揺しないで
調律させてください!と、言うべきだったな、とは思います。

でも、一つだけ苦言を呈するなら
調律を指定して、楽器も二台用意している国際コンクールなのだから
せめて、調律師だけは、プロを用意するべきです。
用意しないというなら、できない人がめちゃくちゃにやるのを
放置しないで、それが演奏者本人であっても出来る人にさせるべきです。

それは沢山の努力と覚悟をしてやってきた参加者へ対する
最低限のエチケットであると思います。

こういうことは日本では絶対あり得ないですよね。
環境を整えることに関して、日本以上に繊細な国は無いと思います。