居眠りバクの音楽回想

チェンバリスト井上裕子の音楽エッセイブログ。

時を超えるか否か

2010-11-06 00:30:08 | その他
今年はモディリアーニの作品の落札額更新が続いています。

モディリアーニの彫刻「テット」48億円で落札。(2010/6/14)

モディリアーニ「安楽椅子の上の裸婦」56億円で落札。(2010/10/29)

モディリアーニの生涯は35年。
短く、まるで伝説のように悲劇的です。

芸術家が存命中に評価されるというのは、とても難しいことで
経済的不安との戦いは、もはや宿命ともいえます。

もちろん、モディリアーニが絵を書き続けた目的は、
経済とは全く別の次元のものだろうし
彼が幸福でなかったとは思わないけれど
経済的にもう少し豊かであったら、彼の最後を迎えるとき
もう少しだけ幸福そうなエピソードが、その伝記に書き加えられたかもしれません。

芸術は時を越えて私達人類の宝ものです。
それが評価されて、沢山の人の心を潤すのは
本当に素晴らしいことだと思います。
ただ、それに金銭的価値が付いて、不動産のように転がされていくのは、
もはや別世界のもの。
どこに価値を見出すか、それは少し複雑な問題です。

いつ評価されるか、どう評価されるかは、
人それぞれのめぐり合わせにもよるものだけれど、
素晴らしい芸術家や才能ある音楽家たちがより幸福な形で、
純粋に世にでるチャンスが、もっとある世の中になれば良いなと思います。

特に、演奏家は演奏する瞬間にだけ生かされるもの。
芸術家や作曲家のように、形にして何かを残すことができない
とてもとても儚い存在です。

ですから私達は、勉強しながら常に発信し続けなくてはなりません。
人に聞いてもらえなければ、音楽は存在しないと同じだからです。

ただ、若い世代は才能があっても機会が無いのが現状。
これを変えていくのも、役目の一つかもしれません。

今は、録音技術の発達で、家で気軽に音楽を楽しむことができるし
音楽のジャンルや娯楽も数え切れない選択肢があるので
その中から、選んでもらうというのは大変難しいことではありますが
素晴らしい演奏家は、生かされるその瞬間にこそ真の輝きを放つもの。

まだまだ修行の身の上ですが
いつかそうなりたいと心から思います。

で、結局何が言いたいのか・・・・平たく言えば
「そうぞ、会場に足を運んで、生の演奏を聴いてみてください。」

モディリアーニから、妙な方向へ行きました(笑)