居眠りバクの音楽回想

チェンバリスト井上裕子の音楽エッセイブログ。

イタリアの劇場

2010-11-20 00:05:47 | 音楽史
現在、イタリアの各地に点在する多くの劇場は

トレント公会議以降に建築されたものです。

(ギリシャ・ローマ時代に建造された劇場は除きます。これらの劇場はローマ帝国崩壊後、キリスト教が政治の中心となってから、悪しきものとして放置されました。劇場の建設は禁止されていました。)

対抗改革は、宗教そのものだけではなく、芸術にも大きく影響しました。

今、信仰はどのくらい芸術に影響しているだろうか。

今の世の中は、経済が第二のキリスト教かもしれません。



どこに向かう?

2010-11-16 00:14:49 | エッセイ
終わりそうで終わらない曲というのは、じれったい。

でもじれったさがなんとも心地よかったりする。

予想できる展開も、驚きの展開もそれぞれに・・・。

対して、初期バロックものは、私には難解。

終わりそうで終わらないその心地よさの前に、
疑問と、ほんの少し不快感が伴うのは何故なのか?

私の音楽のバックフィールドは18世紀以降だから?

悲しいかな、初期バロック独特の進行にまだ私の身体はついてゆけていない。
特に・・・特に、Gの付くあのお方!!!

「あぁ、これどこに向かうの?どこで終わるの?
 あぁ、なんで、この展開。ぅぅ・・・この進行は・・・
 あぁ、なんでこの和音?
 あ、でもここは少し良い感じ。は!!?!終わっちゃった。」

こんな事、思いながら弾く曲って一体(笑)

でも、全ての音に意味がある。

分からないものは、自分勝手に何かをしてしまいがちだけれど、その意味を少しでも理解して、彼らが思い描いたイデアを音にできたら良いと思う。

「私は、音楽の真の核心を追求するだけである(ヘルマン・シェルヘン)」

善処致します!







言葉と音をつなぐもの

2010-11-15 00:35:24 | 言葉
月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛(はふ)れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

 ~中原中也「在りし日の歌 ~亡き文也の霊に捧ぐ~」より~

懐かしい詩です。
学生のころ、この詩集による合唱曲を演奏しました。
作曲家本人の指揮でした。
今でも、中原中也を読むと、彼の音楽が蘇ってきます。
言葉と音楽を結ぶものは、作曲家です。
でも、思い出も歌と音楽をつないでいます。

先生、お元気かな。
現在は、バッハの研究者としてもご活躍です。

十数秒の奇跡に

2010-11-14 00:10:53 | 言葉
ある知人からの手紙の中に見つけたフレーズ。

「其処を通過するのに2週間掛った"9-11小節"を通過するに
 十数秒で通過してしまう事には感慨深いものが有ります。」

たった3小節にかけた2週間。

音楽は人それぞれに、奇跡のような感動を与えてくれるものです。

喜びに変える

2010-11-13 00:21:12 | エッセイ
あるピアニストが、コンサートで使う楽器を選んで欲しいと言われて

こう答えたそうです。

「楽器は何だって構わないよ。

 僕が弾く時、どんな音がでるか楽しみだからね。」

選ぶほど選択肢が無いという現実はさておき(笑)

なるほど、そう思えば、より幸せに弾けます。




頼り過ぎない

2010-11-12 00:14:27 | エッセイ
いわゆる名器と言われる楽器は

それをただ単に弾くだけで、私達に色んなことを教えてくれる。

だから、それに触れる機会に巡り合せたとき

その瞬間を心に刻んでおく。

もちろん、いつもそんな楽器を演奏できるわけではない。

だからどんな環境下にあっても(それがかなり厳しいものだとしても)

その素晴らしい音色や、音楽をイメージして

与えられた楽器と触れ合えば良いのだとようやく気が付いた。

もし演奏が不服なのだとしたら、

それは楽器のせいではなくて、イメージが足りないせいなのだと思う。

どんな楽器でも、それが一番美しく響く瞬間がある。

環境や楽器に頼り過ぎないこと。

強い信念を持って、作品と向き合うこと。

18世紀・・・イタリア

2010-11-11 00:30:47 | その他
最近、Baldassarre Galuppiのソナタを色々と試している。

ガルッピは1706年、ヴェネツィア生まれの作曲家。

成功のきっかけはオペラ・ブッファで
ゴルドーニと組んで多くの作品を残している。
(いかにも!という作品ばかりで、気軽に聞けます。楽しいです。)

器楽ソナタに関しては、130曲あまりが残されており、作曲時期によって、それぞれ少しずつ、異なる作風を持っている。チェンバロからピアノへの以降期でもあるし、特に楽器の指定もないので、チェンバロだけでなく、ピアノ、クラヴィコード、オルガンなど、色んな鍵盤楽器で演奏したら面白いだろうなぁと感じた。

いくつかの作品は、旋律楽器と通奏低音でも良さそうなものもあった。
まるで、ヴァイオリンソナタを弾いているみたい。(間に和音や対旋律を入れてみたい感じ・・・笑)
この時代の数あまたいる作曲家の作品を沢山知っているわけではないから
確かじゃないけれど、18世紀のイタリアはヴァイオリンの時代でもあるから
自然にそういう作品が出来上がってしまうのかも。

「チェンバロによる気晴らし」なんて副題が付いている晩年の作品集(1781年出版)の中には面白い作品もあって、チェンバロよりは他の鍵盤楽器の方が良いような気もするけど、いつか演奏会で取り上げてみたいなぁ・・・と思う。

ガルッピは、かなり名が知られている作曲家な方だけれど
18世紀のイタリアには、まだまだ沢山埋もれているんだろうなぁ。

それにしても、大作曲家達の作品ですら、ほんの一部しか勉強できていないのに
一生のうちで、一体どのくらい知ることができるんだろう。

学ぶだけでも、相当、長生きしなくちゃいけません(笑)