ひさしぶりに観た「美の巨人たち」で、すばらしい画家を特集していた。
「地中海の真珠」と称されるマヨルカ島。
ショパンと女優ジョルジュ・サンドがひと冬を過ごしたという、この島に移住して静かなアトリエで筆を執った画家がいる。その名を、ホアキン・トレンツ・リャド。1946年、スペイン生まれ。20世紀最後の印象派と呼ばれた画家である。
リャドは22歳のとき、この島に移った。15歳でバルセロナの名門美術学校に入学し、その卓越したデッサン力で教師陣を驚かせ、弱冠19歳にして助教授に任命されたにも関わらず。
島ではデンマーク人の上流階級の女性と結婚し、それが契機となって、デンマーク王室から肖像画を依頼された。
写実的に描いたのは顔のみ。衣裳は空間に溶け込み大幅に簡略化されている。詳細に描いた人物と対称的に省略された背景は、モデルを光らせ、その輝きを際立たせるべく、周囲を影にする。彼はこのスタイルを十七世紀のスペイン黄金期の名画に学んだ。
『ラス・メニーナス』で有名なスペインのバロック絵画の巨匠、ディエゴ・ベラスケスの再来とうたわれる由縁はそこにある。じっさい、リャドはベラスケス同様、スペイン国王夫妻の肖像を手がける栄誉にあずかることになる。
1988年には、「パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー(パリのジャーナリスト協会が世界中のクリエイティヴな活動を賞賛して贈る賞)」を受賞。スペインの芸術家では、ホアン・ミロ、サルバドール・ダリに続き三人目の快挙。
肖像画家として名をなしたリャドは、みずから絵画学校を主宰し、多くの後進の育成にあたった。そのなかには、タレントの中村メイコの息子もいる。
1992年作の『カネットの睡蓮』は、彼の晩年に近い作品。
島内にある、ある邸宅の庭園の朝の情景を描きとったものだ。
リャドは、自分の眼や心が捉えた光りを、速やかに描くことを旨とした。
写真のような精密さがみられるが、近よってみればかなり大胆な絵の具の置き方である。絵の具は滴り落ち、散乱している。
水面のきらめき、睡蓮のあいだを零れる光りかけら。これは絵の具を叩きつけるようにして飛沫を飛び散らせる、スプラッシングという手法を用いたもの。乱暴に絵の具を叩いたように思われるが、色彩と絵の具の方向を間違えると、キャンバスがいっぺんに台無しになる。かなり勇気と鍛錬がいる。
遠くからのベラスケス、近くでのジャクソン・ポロック。そう言ってもいい。
まさに、古典とアヴァンギャルドが共存している奇跡の一枚だ。
印象派の巨匠クロード・モネは白内障で衰える視力を絞って、あの大作「睡蓮」を描きあげた。手の早い仕事ぶりは、即興描きの名手、エドガー・ドガをも思わせる。だが、彼の絵画にはいっけん荒っぽさがありながら、かなり緻密に計算された制作である。すばやく、色を混ぜあわせるために、画家のパレットは、絵の具を置く場所がいつもきっちり決まっていて、筆の動きに微塵の無駄もなかった。
リャドは、1993年、その腕を惜しまれながら47歳の若さで亡くなった。
スペインでは英雄作家である。彼の名を冠した通りまであるという。
余談だが、リャドの絵は最近私が抱いていた疑問を解決してくれた。
それは、近年CGで描く作家が増えたが、彼らの絵に手描き時代のような動きが失われたということ。それは、リャドが得意としたスプラッシングのような、色の飛沫がなくなったせいだろう。八、九〇年代(よりも前にあったのかもしれないが)の漫画家やイラストレイターはよく、ホワイトのドリッピングを画面に吹かせていた。あれがなくなったのだ。あるのは、デジタルの微妙に硬い、べったり貼り付いた花びらのような、光りの表現である。しかも、表現が均一化しているので、その人らしさがない。彩色にしたって、遠くから観ればふしぎと焦点があってしまうような印象派のような効果がない。光りと影が融けあわず、きっちり区切られている。
デッサン力がよほどないと、遠近感のない平坦な絵になってしまうこと、まちがいない。
そして、こうした光りと影とがたくみに織りあった名画をデジタルで見せることの不毛さを痛感する次第。ぜひ、自然光のもとで観賞しておきたい一枚である。
(〇九年七月二十五日)
「地中海の真珠」と称されるマヨルカ島。
ショパンと女優ジョルジュ・サンドがひと冬を過ごしたという、この島に移住して静かなアトリエで筆を執った画家がいる。その名を、ホアキン・トレンツ・リャド。1946年、スペイン生まれ。20世紀最後の印象派と呼ばれた画家である。
リャドは22歳のとき、この島に移った。15歳でバルセロナの名門美術学校に入学し、その卓越したデッサン力で教師陣を驚かせ、弱冠19歳にして助教授に任命されたにも関わらず。
島ではデンマーク人の上流階級の女性と結婚し、それが契機となって、デンマーク王室から肖像画を依頼された。
写実的に描いたのは顔のみ。衣裳は空間に溶け込み大幅に簡略化されている。詳細に描いた人物と対称的に省略された背景は、モデルを光らせ、その輝きを際立たせるべく、周囲を影にする。彼はこのスタイルを十七世紀のスペイン黄金期の名画に学んだ。
『ラス・メニーナス』で有名なスペインのバロック絵画の巨匠、ディエゴ・ベラスケスの再来とうたわれる由縁はそこにある。じっさい、リャドはベラスケス同様、スペイン国王夫妻の肖像を手がける栄誉にあずかることになる。
1988年には、「パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー(パリのジャーナリスト協会が世界中のクリエイティヴな活動を賞賛して贈る賞)」を受賞。スペインの芸術家では、ホアン・ミロ、サルバドール・ダリに続き三人目の快挙。
肖像画家として名をなしたリャドは、みずから絵画学校を主宰し、多くの後進の育成にあたった。そのなかには、タレントの中村メイコの息子もいる。
1992年作の『カネットの睡蓮』は、彼の晩年に近い作品。
島内にある、ある邸宅の庭園の朝の情景を描きとったものだ。
リャドは、自分の眼や心が捉えた光りを、速やかに描くことを旨とした。
写真のような精密さがみられるが、近よってみればかなり大胆な絵の具の置き方である。絵の具は滴り落ち、散乱している。
水面のきらめき、睡蓮のあいだを零れる光りかけら。これは絵の具を叩きつけるようにして飛沫を飛び散らせる、スプラッシングという手法を用いたもの。乱暴に絵の具を叩いたように思われるが、色彩と絵の具の方向を間違えると、キャンバスがいっぺんに台無しになる。かなり勇気と鍛錬がいる。
遠くからのベラスケス、近くでのジャクソン・ポロック。そう言ってもいい。
まさに、古典とアヴァンギャルドが共存している奇跡の一枚だ。
印象派の巨匠クロード・モネは白内障で衰える視力を絞って、あの大作「睡蓮」を描きあげた。手の早い仕事ぶりは、即興描きの名手、エドガー・ドガをも思わせる。だが、彼の絵画にはいっけん荒っぽさがありながら、かなり緻密に計算された制作である。すばやく、色を混ぜあわせるために、画家のパレットは、絵の具を置く場所がいつもきっちり決まっていて、筆の動きに微塵の無駄もなかった。
リャドは、1993年、その腕を惜しまれながら47歳の若さで亡くなった。
スペインでは英雄作家である。彼の名を冠した通りまであるという。
余談だが、リャドの絵は最近私が抱いていた疑問を解決してくれた。
それは、近年CGで描く作家が増えたが、彼らの絵に手描き時代のような動きが失われたということ。それは、リャドが得意としたスプラッシングのような、色の飛沫がなくなったせいだろう。八、九〇年代(よりも前にあったのかもしれないが)の漫画家やイラストレイターはよく、ホワイトのドリッピングを画面に吹かせていた。あれがなくなったのだ。あるのは、デジタルの微妙に硬い、べったり貼り付いた花びらのような、光りの表現である。しかも、表現が均一化しているので、その人らしさがない。彩色にしたって、遠くから観ればふしぎと焦点があってしまうような印象派のような効果がない。光りと影が融けあわず、きっちり区切られている。
デッサン力がよほどないと、遠近感のない平坦な絵になってしまうこと、まちがいない。
そして、こうした光りと影とがたくみに織りあった名画をデジタルで見せることの不毛さを痛感する次第。ぜひ、自然光のもとで観賞しておきたい一枚である。
(〇九年七月二十五日)
美術館や教科書で見かける印象派の絵は知っていても画家の人となりは知悉していないのですが、ドガは気難し屋さんだったようですね。モネみたいな外気を描くのは、彼の視力には許されなかったので悔し紛れに言ってそうです(笑)
モデルの衣裳が背景地に溶け込み簡略化されるリャドの肖像画は、どことなくドガのパステル画の画趣に似ていなくもないかも。両者とも早描きですし。
ドガの作品は、踊り子の彫刻が好きですね。
うちのブログで芸術関係のコメントは少ないので、新鮮でした。
ありがとうございます。
「水の反射が、私の目に毒だ!、」とか
言って喧嘩を吹っかけてくるでしょう。