『──昔むかし。ひとりの少女が、世にもうつくしい黒髪の天使に出会いました。
嫉妬にふるえる魔女のたくらみと、暗黒の王子の気まぐれによって天使はお城に閉じこめられてしまいます。
囚われの天使を救い出せたものの、傷ついた少女は深い眠りについてしまいました。
しかし天使のキスが彼女を目覚めさせたのです。
ふたりは未来永劫に結ばれて、その後も幸せに暮らしました。めでたし、めでたし』
「…っていう、お話なの。千歌音ちゃん、どう?」
姫宮邸のリビングルームで、紅茶いろの髪の少女が手にしたコミックスをぱたんと閉じた。隣の少女を窺うような、ちょっと控えめな笑顔を傾けてみせる。
傍らには弾みのある豪奢なソファに身を預けることなく背筋をまっすぐに伸ばしている黒髪の美少女。瞳を細め優雅に紅茶を飲み干しながらの穏やかさで。しかしその実、それとなくその甘い声をひとつとて洩らすことなく拾うことに心をくだきながら、さっきからずっとその物語を聞いていた。薔薇をあしらった白いカップがソーサーへそつなく戻されて、掌のうえで静かにかち合う高級な陶器の音がした。語り手の問いかけに、少女は天使のような微笑みで応じて、紅茶で潤った唇を開く。
「そうね、とても興味深いお話だったわ」
千歌音の好印象の言葉に勇気を得て、姫子はとたんに顔を明るませる。澄んだ声をいちだんと弾ませて、身を乗り出してつめよった。
「千歌音ちゃんもそう思う?よかった、つまらなかったら、どうしようかと思って」
「私、漫画のことはよくわからないけれど…姫子はその漫画が好きなのね?」
「うん、大好き。レーコ先生の待望の新作なんだよ。嬉しいな、千歌音ちゃんも喜んでくれて。だって、好きなひとと好きなものをね、たくさんたくさん共有するのって楽しいから」
「私もよ。でも私は貴女さえいれば、他に好きなものなんていらない」
ティーセットをテーブルに礼儀正しく置いて、千歌音は姫子の頭を肩先へ抱き寄せた。熱い吐息がほてった頬にかかって、姫子のすべてがたちまち紅く染まる。心臓がひときわ弾むのを抑えられず、姫子はこぢんまりと身を竦めている。ふたりはすでに想いつながって久しいというのに、いつまで経っても初心な恋乙女のようなしぐさが愛らしくて、千歌音はさらに腕の輪をきつくして、背中から抱きしめてやった。寄りかかって重くないかなと、遠慮がちに身をかたくしていたのに千歌音がやや強引に胸元へ誘うものだから、姫子もすっかり体を預けておくことにする。
「わ、わたしもね、わたしの好きも、千歌音ちゃんがいちばんなんだよ」
「ほんとうに?」
わざとすこしだけ詰問めいた口調で聞き返したので、姫子がちょっとたじろいだ。
赤ん坊が身をよじらせて母親の胸に甘えるみたいに、小柄なからだを豊かな胸に添えた。
「ほ、ほんとうだよ。…あ、でもレーコ先生の漫画とか、隣町のデパートの三段アイスとか、乙羽さんのつくるシフォンケーキとか、薔薇園の木蔭とか、お陽様を吸ってふかふかのお布団とか、学校の帰り道でよく見かけるワンちゃんとか、好きはいっぱいあるけど。断然、わたしが好きなのは千歌音ちゃんなんだよ。弓道とかテニスしてる千歌音ちゃんとか、ピアノ弾いてる千歌音ちゃんとか、お料理中の千歌音ちゃんとか、きれいな着物きてる千歌音ちゃんとか、わたしの写真を褒めてくれる千歌音ちゃんとか、あと、それからね…えっと…」
顔の朱をさらに濃くして必死で弁解して、懸命に大好きな千歌音ちゃん探しを指を折り曲げながら列挙してくれる姫子が、ひたすらかわいらしくて、愛おしくて。すっかり千歌音の頬はゆるみっぱなし。私の最愛は姫子だけ。そして姫子のなかも千歌音ちゃんが好きでいっぱい。
その漫画本一冊の全容を解説するのに、姫子は二時間弱の時間を要した。
アンティークの大きな壁時計のふたつの針がきっちり上向きに重ねられ、日替りを告げる荘厳な音が広い居間の端まで満たすほど鳴りひびく。
まるで夢心地の時間を終わらせてしまうようなその音が止まっても、彼女たちは身を寄せあっていた。
もう就寝の時間。けれどこのまま眠りについてしまうのは惜しい。
【目次】神無月の巫女×京四郎と永遠の空二次創作小説「君と舞う永遠の空」
嫉妬にふるえる魔女のたくらみと、暗黒の王子の気まぐれによって天使はお城に閉じこめられてしまいます。
囚われの天使を救い出せたものの、傷ついた少女は深い眠りについてしまいました。
しかし天使のキスが彼女を目覚めさせたのです。
ふたりは未来永劫に結ばれて、その後も幸せに暮らしました。めでたし、めでたし』
「…っていう、お話なの。千歌音ちゃん、どう?」
姫宮邸のリビングルームで、紅茶いろの髪の少女が手にしたコミックスをぱたんと閉じた。隣の少女を窺うような、ちょっと控えめな笑顔を傾けてみせる。
傍らには弾みのある豪奢なソファに身を預けることなく背筋をまっすぐに伸ばしている黒髪の美少女。瞳を細め優雅に紅茶を飲み干しながらの穏やかさで。しかしその実、それとなくその甘い声をひとつとて洩らすことなく拾うことに心をくだきながら、さっきからずっとその物語を聞いていた。薔薇をあしらった白いカップがソーサーへそつなく戻されて、掌のうえで静かにかち合う高級な陶器の音がした。語り手の問いかけに、少女は天使のような微笑みで応じて、紅茶で潤った唇を開く。
「そうね、とても興味深いお話だったわ」
千歌音の好印象の言葉に勇気を得て、姫子はとたんに顔を明るませる。澄んだ声をいちだんと弾ませて、身を乗り出してつめよった。
「千歌音ちゃんもそう思う?よかった、つまらなかったら、どうしようかと思って」
「私、漫画のことはよくわからないけれど…姫子はその漫画が好きなのね?」
「うん、大好き。レーコ先生の待望の新作なんだよ。嬉しいな、千歌音ちゃんも喜んでくれて。だって、好きなひとと好きなものをね、たくさんたくさん共有するのって楽しいから」
「私もよ。でも私は貴女さえいれば、他に好きなものなんていらない」
ティーセットをテーブルに礼儀正しく置いて、千歌音は姫子の頭を肩先へ抱き寄せた。熱い吐息がほてった頬にかかって、姫子のすべてがたちまち紅く染まる。心臓がひときわ弾むのを抑えられず、姫子はこぢんまりと身を竦めている。ふたりはすでに想いつながって久しいというのに、いつまで経っても初心な恋乙女のようなしぐさが愛らしくて、千歌音はさらに腕の輪をきつくして、背中から抱きしめてやった。寄りかかって重くないかなと、遠慮がちに身をかたくしていたのに千歌音がやや強引に胸元へ誘うものだから、姫子もすっかり体を預けておくことにする。
「わ、わたしもね、わたしの好きも、千歌音ちゃんがいちばんなんだよ」
「ほんとうに?」
わざとすこしだけ詰問めいた口調で聞き返したので、姫子がちょっとたじろいだ。
赤ん坊が身をよじらせて母親の胸に甘えるみたいに、小柄なからだを豊かな胸に添えた。
「ほ、ほんとうだよ。…あ、でもレーコ先生の漫画とか、隣町のデパートの三段アイスとか、乙羽さんのつくるシフォンケーキとか、薔薇園の木蔭とか、お陽様を吸ってふかふかのお布団とか、学校の帰り道でよく見かけるワンちゃんとか、好きはいっぱいあるけど。断然、わたしが好きなのは千歌音ちゃんなんだよ。弓道とかテニスしてる千歌音ちゃんとか、ピアノ弾いてる千歌音ちゃんとか、お料理中の千歌音ちゃんとか、きれいな着物きてる千歌音ちゃんとか、わたしの写真を褒めてくれる千歌音ちゃんとか、あと、それからね…えっと…」
顔の朱をさらに濃くして必死で弁解して、懸命に大好きな千歌音ちゃん探しを指を折り曲げながら列挙してくれる姫子が、ひたすらかわいらしくて、愛おしくて。すっかり千歌音の頬はゆるみっぱなし。私の最愛は姫子だけ。そして姫子のなかも千歌音ちゃんが好きでいっぱい。
その漫画本一冊の全容を解説するのに、姫子は二時間弱の時間を要した。
アンティークの大きな壁時計のふたつの針がきっちり上向きに重ねられ、日替りを告げる荘厳な音が広い居間の端まで満たすほど鳴りひびく。
まるで夢心地の時間を終わらせてしまうようなその音が止まっても、彼女たちは身を寄せあっていた。
もう就寝の時間。けれどこのまま眠りについてしまうのは惜しい。
【目次】神無月の巫女×京四郎と永遠の空二次創作小説「君と舞う永遠の空」