陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

映画「ルパン三世 カリオストロの城」

2008-05-05 | テレビドラマ・アニメ
連休中なのにとりたてて抜きん出たテレビ番組がありません。どうせ、みな行楽にでかけるので視聴率を期待しないということでしょうか。

そんななか、楽しめた番組は金曜洋画劇場の「ルパン三世 カリオストロの城」です。数年に一回は放映してますよね、そのたびごとに観てしまいたくなる作品です。最後のあの名台詞にいたる経路を知っていても、ぜったい、観たくなりますね。視聴率がかならずとれるからということで、『ラピュタ』や『ナウシカ』とならび、地上波放映劇場アニメの常連なのですが、新作不振もなんのその、すなおに嬉しいです。

前回テレビで見かけたのがいつだったのか忘れたのですが。今回驚いたのが、絵の色彩です。すごく、くっきり鮮やかなんです。いま動画サイトで放映されている「ヤッターマン」など旧作アニメがほぼそうですが、昔のセルアニメをデジタル処理しているのでしょうか?数年前までアニメの再放送といえば、どことなく色合いが古びていて、描線もやぼったくって、しかも音が錆ついていてたまに妙にプツッと切れたような雑音がはいったり。へたすると端っこのほうに、糸のようなものがくっついていたりしてました。でも、逆にそれが人間くさいて仕事らしさがうかがえて、私は好きでした。アニメ制作ってたいへんなんだなと。一枚いちまいセルを撮影していくって大変ですものね。
今ともなれば、そういう古色を帯びた感じが払拭されてしまっているんですね。結果として四半世紀まえの作品であろうと、目新しさが感じられるのです。

今回の「ルパン」は、現代で塗り直されたアニメの味わい深さをいかんなく発揮していることを気づかせるものでした。
たとえば、背景美術です。昔のアニメの背景画はそれ自体一つの絵画として眺めてもよさそうなほど、手書きの温かみがあります。昨今のアニメのほうが、たしかに色鮮やかで立体的で、光彩のいれ方も際立っています。でも、どこかつくりものめいているんです。つくりこみすぎていると申しましょうか。そのリアリティはゲーム映像のような実体感なのです。
ちなみにこの劇場版の美術を担当された小林七郎氏は、『少女革命ウテナ』や『シムーン』の美術監督もされています。塔のモチーフがおなじですね。劇場版『ウテナ』はかなり抽象化されたスタイリッシュな背景、その斬新さゆえに度肝を抜かれましたが、TV本編の方はアヴァンギャルドをおさえ、古典的な物語舞台を用意しました。寝そべる御影草時と馬宮少年のツーショットが、E. マネの「オランピア」(c. 1866)の構図を模したものであることは言わずもがな。「カリストロの城」でも、カリオストロ伯爵が食事を摂っている部屋には、ジャック・ルイ・ダヴィッドの「ホラティウス兄弟の誓い」(c. 1784)が遠目に飾られていました。

このルパン映画は七九年作ですが、この頃のアニメはいまのようにキャラクターに不必要な陰影をつけていませんでした。したがって人物はいたって平面的なのですが、そのためリアルに描きこまれた背景との距離感がうまれたのです。アニメのキャラクターは過度な色重ねがないぶん、すこぶる豊かな動きでこたえていました。それこそが、ほんらいのアニメーションの意に添ったものであったといえましょう。
ところで、いまのアニメはどうでしょう。やたらと人物のこぎれいな顔のアップが多く、背景とのアンバランスがみうけられます。かつてのアニメを色数をおさえたモノトーンの線的な造形とするなら、いまのアニメは肌にも着物にも色の帯をかさねたもの。十二単を着せられた平安美人のように画一的な雅な顔つきを保ちながら、自由な動きを制限されているのです。アニメのみならず、「萌えの朱雀」や北野武監督など日本映画がストーリー性よりも、色彩感覚で評価された点もあって、映像美ばかりがやたらと押し出され、主張があいまいになっている物語が多いように感じます。
また、キャラ自体が濃淡をふかめ色がつきすぎることで、背景との区別がつきづらい、したがって距離感がなくなっているようにも見受けられます。

また、今回とくに際立ったのは、なんといっても声です。
山田康雄氏、宮内幸平氏の物故声優さんのお声がよみがえりました。また不二子の声も近作のルパンでは、かなり高齢の女性らしいしわがれ(若さを出すようにあえて媚びたような声音を出しているが、かえってそれがなんだか不自然に聞こえる)を感じさせるものでしたが、往年の娘らしい明るい弾みが残っていました。銭形警部や次元、五右衛門についても、いっこうに年寄りくささがありません。しかも昭和時代のニュース映像から流れるような、ぱさぱさ乾いた感じのトーンではなくして、生々しい声の鮮度があります。あの当時の声が、そのまま生き返ったかのよう。
クリカンの声も嫌いじゃないですが、やっぱりどこか間の抜けた感じがします。山田ルパンの真剣なときの渋さには、まず及んでいない。

この「カリオストロの城」は、宮崎駿演出作としてあまりに知名度が高い映画ですが、発表当初は意外にも評判はいまひとつだったようです。ルパンTVシリーズのコミカルな部分がやや薄められ、囚われの小公女を救い出す騎士であり、偽札の悪事をあばく義賊という設定に、若干違和感を覚えられたようです。
またこの作で毛色がかわっていたのは、TV第一シリーズのEDにも歌われていた、愛機ワルサーP38がまったく活躍の機会を失っていたことでしょう。ルパンといえば銃撃戦という気がするのですが、今作では体当たり戦、頭脳プレーがきわだっているように思えました。

そして、またこの作品が結末を知っていてなんども観たくなるのは、ひとえにその包括性にあるのではないでしょうか。塔に幽閉された少女、飛行機での救出劇、大食によって傷をいやすルパン、おしくらまんじゅうのように群がって衝突する警官隊、そして野心のために少女を花嫁とする横暴な伯爵。これらを他の宮崎氏がたずさわったアニメ──「天空の城ラピュタ」「風の谷のナウシカ」「未来少年コナン」「名探偵ホームズ」──に見出すことは造作もないことです。クラリス姫のお庭番であった老人は、「アルプスの少女ハイジ」のおじいさんそのもの(声もおなじ)でした。
宮崎の後年作だけでなく、この名作アニメがのちのジャパニメーションへと継がれる布石は大きいといえましょう。私がこのブログで主にあつかっている「神無月の巫女」の派生作品「京四郎と永遠の空」にも、狂った権力者に洗脳されて花嫁にされた少女がでてきますし。またクラリス姫の服装、白ブラウスに青いタイとタイトスカートも、「Fate/Stay Night」のヒロインのセイバーさん(お声が川澄姐さん)と似ています。(こじつけ)

花嫁の強奪というのは、なんともベタベタな展開なのですが、ほかのルパンストーリーと違って、お伽噺めいたつくりになっている点、また男くさく色めき立った青二才ではなく、中年紳士的な人として描かれたルパンに人気があつまっているのでは。昨今の闘う乙女ツンデレ美少女が、いざとなると脆くて男性の腕を頼るのとは対照的に、とうしょ清楚でおとなしいクラリス姫が、身を伏せてルパンを銃弾から守ったり、伯爵にたちむかっていったりする逞しさを増すのも、なんともすがすがしい。おそらく七九年という時期にあって、この女性像は求められたものなのでしょう。造形からいっても、クラリス姫はナウシカの前身かと思われます(声がいっしょですし(笑))

現代アニメを批判してはいますが、べつに観ないというわけではなく、総じて昔のアニメみたいな面白さがないということなんですが。それはたぶん、子どものころのみずみずしい感性がうしなわれて、興味の対象が狭まってきてしまったからかもしれないですね。

この「カリオストロの城」は、モーリス・ルブラン作の『アルセーヌ・ルパン』シリーズのひとつ「カリオストロ伯爵夫人」に範を求めています。
そういえば、子どものころ、おそらくNHKで怪盗紳士アルセーヌ・ルパンを主役にしたアニメーション(たぶん海外制作)を見かけたことがあるのですが、どんな内容だったか覚えていません。もう一度観てみたいですね。

余談ですが。
学生時代に研究室の先輩にマイPCを貸したら、あの独特のサウンドでルパン三世のTVサブタイトルのテロップが出るソフトをかってにインストールされてびっくりしたことがあります。起動するたびに、カッ、カッ、カッ!と鳴って黒地に白文字が撃ちこまれていくのを苦笑いで眺めていた私でした…。

(〇八年五月二日 覚え書き)


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