漫トラ日記

現実生活空間&脳内妄想空間を日々マンガに浸食される主婦の怠惰な日常

『殿様の通信簿』(磯田道史著)

2007年07月01日 21時33分38秒 | 
半年ほど前のこと、たまたま聞いてたラジオでこの本の宣伝をしてまして
すんごく面白そう~(夜は時代物大好きなのだ!)と思い、早速図書館に予約
が!そのときすでに予約数四十数件!(げ~
評判の本だったんだねぇ。。。
区内に一冊しかないため、長々待たされて半年!
や~~っと、読めました

で、これが読み易い文章で、中身が中々面白い!
一日半で読み終わっちゃいました~!
半年待った甲斐があったのか、無かったのか。。。ハハハ



著者の磯田道史氏は茨城大学の助教授です

中身はタイトル通り
水戸黄門様や忠臣蔵で有名な浅野内匠頭等のお殿様は
本当はこんな人だったんだよ~、って言う歴史トリビア物なんだけど
従来のイメージがガラっと変わる、その内容がとっても面白い!!
しかも、ちゃんと史料がある!

ネタ本は、元禄時代に書かれた「土芥寇讎記(どあいこうしゅうき)」
(こんな字、ぜって~読めねぇ~!
“土芥寇讎”の出展は『孟子』で
“土芥”の意味はゴミ。“寇讎”は仇のこと
要は『殿様が家来をゴミのように扱えば、家来は殿様を親の仇のようにみる』と言う意味
隠密が各藩の内情を探索してきたものを、幕府の高官がまとめたもので
正に“殿様の通信簿”!

時代劇に出てくる“隠密”が、実際に機能していた証拠があったんだねぇ
本の内容より、まずそのことに興味を引かれちゃいました
元禄時代以外にも、こう言う本は残っていないのかしら?
だんだん泰平に慣れて、隠密も有名無実になってきたのかなぁ。。。?
色々疑問が湧いてきたけど、とりあえずこっちは私の宿題です~


さて、まずこの“通信簿”の槍玉に挙げられたのが黄門様こと水戸光圀
『大日本史』を編纂させたくらいだから、学があったのは確からしい
しかし、わざと勉強の足らない学者をへこませて悦に入っていたと
書かれている
いや~な、奴だ!
しかも、女色にふけりお忍びで遊郭にも通っていたとか。。。
だから、曼遊記が出来たのかなぁ~?
ただ、殿様のお仕事もちゃんとしていたみたいで、さすが黄門様です

次は、浅野内匠頭
浅野内匠頭と言えば、忠臣蔵では必ず悲劇の美青年に描かれるけど
ここには、政治向きのことは家老の大石内蔵助に任せて
自分は昼から女に溺れていたと書かれている
しかも、そういう主君を諌めない家臣は不忠の臣だと非難されているのです
松の廊下以前に書かれただけに、重いなぁ。。。

3番目は池田綱政
岡山藩の二代目藩主です
なじみの無い名前だけど、日本三大名園岡山後楽園を作った人物で
母は徳川千姫の娘、曽祖父は姫路城を築城した池田輝政
で、この綱政公が「土芥寇讎記」に何と書かれているのかといえば
政を省みず、不良旗本と吊るんで日ごと酒宴をはり
芸人を集めて遊興にふけるバカ殿と書かれている
し、しかも、無類の女好きで作った子供が70人~!?
元禄になると、平和に慣れて政治向きは家来がやってくれるし
殿様は女と趣味に走る以外することも無かったんだろうけど
あの子沢山の徳川家斉でも55人なのに。。。すんごい精力絶倫!!
まぁ、バカ殿と言われてもしょうがないけど
美的センスは一流だったみたいね~


他に前田利家・前田利常、内藤家長、本多作左衛門等の話が載っているけど
この人たちの話には「土芥寇讎記」のネタはほとんど出てこない
残念!
もっとこの本の中身を紹介して欲しかったのに。。。

ただ、この時代のお姫様は江戸の置く屋敷深くに閉じ込められて育つので
百姓仕事を全く見たことが無い!という話があって
これはちょっとトリビアだったわ~



ところで、著者の磯田氏の文章って、司馬遼太郎さんそっくり!!
本の紹介文に“平成の司馬遼太郎”とあったけど、確かにね。。。
でも、司馬さんの文章のように読み易いのは良いけど
あまりにも文体が似ているのはどうかと思うな~
自分のスタイルを持って欲しいわ