吉宗&ぶーくん

フレンチブルドックの吉宗くんとその家来のぶーくんの日記

父が亡くなりました8

2019年12月11日 | 家族のこと
2019年12月9日

庭に鳥箱があってそこに鳥の餌とひまわりの種を、父が毎朝入れていたとのことでわたしが家にきてからやっておりました。
お坊さんは9時からということで8時20分くらいに鳥に餌をあげて、外から家に入ったとたんヒヤっとしてトイレに行きたくなって速攻トイレへ

ふうぅと一息ついてトイレからでてきたら玄関に二人の人影が!!

「ぎゃあああああ」と、悲鳴をあげてよくよく見ると、住職さんと大先生が玄関に立ってましたw

住職さんはやはり忙しく、大先生がお経をあげてくださるとのこと。
そして、住職さんはこれから檀家廻りをするので大先生を送ってきてくださったとのことでした。

ちなみに、住職さんはわたしの一つ上の先輩にあたり
中学生の時は生徒会長をやっていてイケメンでモテてましたw
高校は京都へ行ったのでそれ以降は知りませんでしたが
大先生が京都大谷を出た後大学は札幌だと言ってました

9時だと聞いていたので布団も上げていなかったので
いそいで布団を押し入れに押し込みました・・・
もちろん姉はまだ到着していないし、母はちょっと熱があったのでベッドで横になりながらお経を唱えるという形になりまして、
いわゆる、大先生と二人でさしとなりましたw

お経本をわたされまして、中をみると棒線がちょんちょんと文字の横にあり、
伸ばし方発音の仕方を表現してるようでしたので、大先生の声を参考に一緒によみあげるのですが、ちょいちょい大先生のアドリブ?がはいり言葉の長さがちがっていてオタオタするっw
お経と途中で姉も合流
私が苦戦しつつお経を読んでいると・・姉が笑っている・・・

いやいやいやいや・・わたしも、結構可笑しくなってきて笑いたいのをこらえているのに、姉さんがニヤニヤするからわたしまでニヤる・・・

なんとか無事に焼香もすませて、大先生の説法も終わり
私がお寺まで送って行きました。

かえってから、姉が笑っていた理由を聞くと

わたしがお経を読みながら大先生のアドリブについていけず
「ちがうっ」「あっ、まちがった」「わかんねー」とか言っていたのだそうな・・
自分では全然気づいて無かったOTZ


10時からは保健師さんがきて、介護認定用の質問をしたあと、町でつかえる福祉などの説明をうけました。

その後は町の謎の風習を母から聞く
香典の中から町の福祉課に寄付をするというのだ!しかも、広報に名前と金額がのるので、安すぎると近所から少ないと陰口をいわれるとのこと

帯広に住んでる姉も川崎の私もそんな風習はきいたことなくて驚きましたが、風習があるならしかたがないですよね・・
二人で福祉課へ行って寄付をしてきました。
どうやら、福祉事業は町の税金だけでは運営は難しく寄付金が無いと難しいらしい

この後は、処分をする遺品が多すぎるため帯広にあるゴミ処理場へ姉の車とわたしの車二台で乗せられるだけ乗せて持って行こうと言うことでしたが、わたしは車に乗るときは甘いものを食べてからじゃないとぼんやりするするので、スーパーへあんぱんを買いに行ったら!!
これーーーーーーーーーー!!

ようかんちぎり!

中はクリームが挟まっていて
上にチョコならぬようかんがかかってますw

あまりのなつかしさに、即購入w

そして、ゴミの話になって
母が急に、鑑識の人が父がつかった浣腸の容器まで写真に撮っていたという話を始め、それを聞いた姉が「それだ!!」と急に声を上げた。

ずっと父の死因の原因がわからなかった。
検死をしたときも、出血性ショックが原因なのはわかったが、どうして出血したのかはわからなかったのだ。

父は二日前までは元気で、自転車でスーパーに行っている姿を弔問してくださった町の方も見ていた。
ただ、この日の夜に自分で浣腸をしたようだった。
父は痔の持病があり、姉曰く痔に浣腸があたって傷をつけることがあり、その場合だとサラサラの血が大量に出血することがあるとのこと。
現に患者さんで大量出血したため病院に来た人がいたそうだ。

父は自分で失敗したことには気づいたのだろうが、そのうち止まるとおもったのかもしれない。だから、とくに騒ぐことなく、ただじっと椅子に座っていたのかもしれない。

母が父が何度もトイレに行く姿をみていたし、父の顔が白っぽくなっている気がしたが、父も入院をしていたので日焼けがとれたくらいにしか思わなかったらしい。

父がめまいをして転んだというのは、その時点でかなりの出血をしていて貧血をおこしていたかのうせいもある。

トイレにたくさんの血が飛び散っていて母が掃除をしたと言っていた。

痔の場合、血が飛び散ることがあるのだそうだ。

貧血で頭も朦朧として、出血にたいしておかしいと感じる感覚もなくなっていたのではないか、だから台所で座り込んだまま出血死をしたのかもしれない。

姉の推測であるが、かなり真実に近いような気がする。

姉曰く、食道癌はかなり苦しい、だからよかったのかもしれない。

ていうか・・・
おっちょこちょいだった父らしい最後だったのかも知れないし、
急死すぎて家族も驚いたけど、一番驚いたのは父かもしれない。

なんとなく、死因に納得のいく理由もついて母と姉と私はすこしだけどほっとした。

姉とふたりで捨てるものを手分けして車にのせてごみ処理場へ出発
家からだと60キロくらいの場所なので、飴とかを準備して出発
姉の車を追いかけていくため、パーキングエリアで休み休みというわけにいかず必死についていくが・・・

ねむい・・・

気を付けないとと、おもっていると一瞬記憶が飛ぶ・・・

気づくとまたもや反対車線に飛び出てました・・
(みなさん、ちゃんと休憩はしようね)

ごみ処理場の中に入ったのが初めてでちょっと迫力でした。

そのあとは遅いお昼をとるために
柳月が経営しているパーラーへ
ペペロンチーノと
三方六のパフェ!!

うま~w

遅くなったら道路が真っ黒になるため姉とはここで別れて帰宅


しかし、
午後4時になるといい感じに暗い・・・
しかも、5時になるとほぼ暗闇でびくびくしながら帰宅しました。

登記については、上司に聞いてみようということでラインをしたら電話をしてくださって、いろいろと教えてもらえました。


毎日がやることが多く
そして、気づくことも多く
初めて知ることも多かった

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