インターネットをうろうろしてたらFISCOの昔の航空写真を見つけました
懐かしいです
30年位前のコースですネ
覚えてる範囲で振り返ってみましょう
1コーナー
1.4kmくらいあるストレートから一気に減速!!もちろんパッシングポイント
入り口が緩く出口がきつい複合コーナー、オマケに立ち上がりは下りになる為逆バンク気味になる難所
入り口は思いっきり飛び込めます(ここは好きだった~)
でも立ち上がりで飛ぶとダメージ大きいです!ドカ~ンと飛んでゴーロゴロ転がります!!
左の250R
FISCO名物、高速コーナーの1つ目
下りの1コーナーからグングン加速しっぱなしでここを走り抜けて行きます
あまりに危険なため80年代にAコーナー(サントリーコーナー)というシケインが出来ました
Aコーナーもいろんなドラマが起きた場所ですネ(平さんのブレーキパッドが落ちたのを目の前で見たのもここでした!)
右にグルッと回り込む100R
バンクがキツく壁のように見えます!!
イン側に長い座布団(補修された路面)がありベストラインは極端に狭いです
でも逆に座布団の外を走ると立ち上がりのカントが緩くなり加速は速かったですネ
攻め甲斐のあるコーナーです
ヘアピン
100Rの立ち上がりを登りきったら一気に下ってヘアピンへ向かいます
入り口のきついコーナーなので思いっきり立ち上がり重視です
FISCOで最も低い所に位置します
ブレーキングは下り、立ち上がりは緩い登りです
昔の高速コースではココも重要なパッシングポイントで、皆よくぶつかってました
右の300R
このコース一番の超高速コーナーです!!(300Rですからネ!)
俺が乗ってたTZ250では5速吹けきりで約200kmくらいで膝摺りを体験できました
そんなコースは狭い日本でココだけですヨ!
コーナー半ばまで緩い登りで後は最終コーナーへ向けて下って行きます
ここももちろん重大事故が頻発してましたので、ヘアピンとの間に妙に小っちゃいシケインが出来ましたね(あのシケインは125で走ると「アッ!」という間に走り抜けることが出来ます)
最終コーナー
ここも複合コーナーです
ストレートを控えてますのでとにかく立ち上がりが大事です
立ち上がりでクラッシュするとコンクリートの壁にデカいキスをすることになります(場合によっては壁画になりそうです!)
複合で、しかも2個目が登りになり出口が見えずらいのでラインもちょと難しいです
TZでラヂエターの水ナシで走ると2周目のココまで走れます(笑)
ココもやはり80年代には300Rとの間にBコーナーというシケインが出来ました
シケイン自体は難しくありませんでしたが、最終コーナーとの繋ぎ目が一癖ありましたし、最終へ入っていくラインは皆工夫してましたね
日本最長ストレート
画像の1コーナーの先に続く30度バンクが使われていた頃はストレートが+300mくらいありました
ビッグマシンでも確実に吹け切ってしまう長さを持つこのストレート
ド迫力です!!
当時3箇所あったギャップが無ければ、あと3km伸びると言う話を聞いた事があります
広すぎて長すぎて何km/h出しても恐怖感はありませんが、250kmを超えて260~270くらいになると流石に視界が変わってきます
コントロールラインまでの距離が長いのもレースを面白くする要因ですネ
そしてコントロールラインを過ぎて1コーナーのブレーキング
1コーナーが近づいてくると看板が200m、150m、100mと現れてきます
俺らの頃の250の目安は150mでしたが、原田哲也がヤマハワークスに入った頃は120~110mくらいでブレーキ握ってましたね!
ブレーキングを開始して体をカウルから起こす時、リヤタイヤが浮き上がって横に振れるのを今でもハッキリ覚えています
また、スリップストリームをハッキリと体感できるのもこのコースならでは
あと「スーパースプリント」の行われる週に練習に行った時の事
A級のいろんな有名どころ、いろんなクラスの選手と一緒に走ったのですが、1コーナーのブレーキングを始めたところでヨシムラのF1マシンに乗る大島とあともう一人誰だったか忘れたけど、2人に両脇から抜かれた時は肝を冷やしました
その音ったらスゴかったし、スピード差もね!!
このコースもシケインが3つ加わってからは抜きどころも増えてテクニカルになりましたネ
しかも高速・低速どっちつかずのコースになっちゃいましたので、セッティングも難しくなりました
以前の記事に書きましたが、ここは苦労した思い出ばかりです(苦笑)
マシンもよく壊したしMCFAJのレースでは車検で苦労させられました
パドックと下のレストハウス横の車検場との間を1レースで5往復した事もあります(レース前の車検こそが本当の戦い!?)
そのFISCOも現在は近代的な国際コースに生まれ変わってしまい、昔のコースも思い出の中です
しかし他に例を見ないこの「日本屈指の高速コース」は、多くの方の記憶に強く印象を残し、忘れられることはないのではないでしょうか
入場料と走行料が高かったのも忘れないよ~!
懐かしいです
30年位前のコースですネ
覚えてる範囲で振り返ってみましょう
1コーナー
1.4kmくらいあるストレートから一気に減速!!もちろんパッシングポイント
入り口が緩く出口がきつい複合コーナー、オマケに立ち上がりは下りになる為逆バンク気味になる難所
入り口は思いっきり飛び込めます(ここは好きだった~)
でも立ち上がりで飛ぶとダメージ大きいです!ドカ~ンと飛んでゴーロゴロ転がります!!
左の250R
FISCO名物、高速コーナーの1つ目
下りの1コーナーからグングン加速しっぱなしでここを走り抜けて行きます
あまりに危険なため80年代にAコーナー(サントリーコーナー)というシケインが出来ました
Aコーナーもいろんなドラマが起きた場所ですネ(平さんのブレーキパッドが落ちたのを目の前で見たのもここでした!)
右にグルッと回り込む100R
バンクがキツく壁のように見えます!!
イン側に長い座布団(補修された路面)がありベストラインは極端に狭いです
でも逆に座布団の外を走ると立ち上がりのカントが緩くなり加速は速かったですネ
攻め甲斐のあるコーナーです
ヘアピン
100Rの立ち上がりを登りきったら一気に下ってヘアピンへ向かいます
入り口のきついコーナーなので思いっきり立ち上がり重視です
FISCOで最も低い所に位置します
ブレーキングは下り、立ち上がりは緩い登りです
昔の高速コースではココも重要なパッシングポイントで、皆よくぶつかってました
右の300R
このコース一番の超高速コーナーです!!(300Rですからネ!)
俺が乗ってたTZ250では5速吹けきりで約200kmくらいで膝摺りを体験できました
そんなコースは狭い日本でココだけですヨ!
コーナー半ばまで緩い登りで後は最終コーナーへ向けて下って行きます
ここももちろん重大事故が頻発してましたので、ヘアピンとの間に妙に小っちゃいシケインが出来ましたね(あのシケインは125で走ると「アッ!」という間に走り抜けることが出来ます)
最終コーナー
ここも複合コーナーです
ストレートを控えてますのでとにかく立ち上がりが大事です
立ち上がりでクラッシュするとコンクリートの壁にデカいキスをすることになります(場合によっては壁画になりそうです!)
複合で、しかも2個目が登りになり出口が見えずらいのでラインもちょと難しいです
TZでラヂエターの水ナシで走ると2周目のココまで走れます(笑)
ココもやはり80年代には300Rとの間にBコーナーというシケインが出来ました
シケイン自体は難しくありませんでしたが、最終コーナーとの繋ぎ目が一癖ありましたし、最終へ入っていくラインは皆工夫してましたね
日本最長ストレート
画像の1コーナーの先に続く30度バンクが使われていた頃はストレートが+300mくらいありました
ビッグマシンでも確実に吹け切ってしまう長さを持つこのストレート
ド迫力です!!
当時3箇所あったギャップが無ければ、あと3km伸びると言う話を聞いた事があります
広すぎて長すぎて何km/h出しても恐怖感はありませんが、250kmを超えて260~270くらいになると流石に視界が変わってきます
コントロールラインまでの距離が長いのもレースを面白くする要因ですネ
そしてコントロールラインを過ぎて1コーナーのブレーキング
1コーナーが近づいてくると看板が200m、150m、100mと現れてきます
俺らの頃の250の目安は150mでしたが、原田哲也がヤマハワークスに入った頃は120~110mくらいでブレーキ握ってましたね!
ブレーキングを開始して体をカウルから起こす時、リヤタイヤが浮き上がって横に振れるのを今でもハッキリ覚えています
また、スリップストリームをハッキリと体感できるのもこのコースならでは
あと「スーパースプリント」の行われる週に練習に行った時の事
A級のいろんな有名どころ、いろんなクラスの選手と一緒に走ったのですが、1コーナーのブレーキングを始めたところでヨシムラのF1マシンに乗る大島とあともう一人誰だったか忘れたけど、2人に両脇から抜かれた時は肝を冷やしました
その音ったらスゴかったし、スピード差もね!!
このコースもシケインが3つ加わってからは抜きどころも増えてテクニカルになりましたネ
しかも高速・低速どっちつかずのコースになっちゃいましたので、セッティングも難しくなりました
以前の記事に書きましたが、ここは苦労した思い出ばかりです(苦笑)
マシンもよく壊したしMCFAJのレースでは車検で苦労させられました
パドックと下のレストハウス横の車検場との間を1レースで5往復した事もあります(レース前の車検こそが本当の戦い!?)
そのFISCOも現在は近代的な国際コースに生まれ変わってしまい、昔のコースも思い出の中です
しかし他に例を見ないこの「日本屈指の高速コース」は、多くの方の記憶に強く印象を残し、忘れられることはないのではないでしょうか
入場料と走行料が高かったのも忘れないよ~!