くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

ショートくりぃーむ(26)

2008-04-19 18:05:36 | Weblog
『白銀を越えて』(狼おとこ 2)

 国境に近い寒村に異教徒がいると情報が入ったのは、もう半年も前のことだった。
 教会が集めた情報によると、その男の姿形は人と変わらず、見知らぬ神に祈りを捧げている気配もなかった。
 ただ一つおかしなことがあるとすれば、男はどんな大怪我をしても、月が満ちると治ってしまうのだという。
 世界の果てとも言われる山脈の麓、静かな村に片腕が義肢の役人が現れたのは、山々が白く染まる頃だった。
「女はどこだ」エンゼルは、軍の一個大隊に匹敵する兵士達を連れていた。「女達はどこに行った」
「なにをおっしゃって……」村長は深々と頭を下げたまま、額に冷や汗を浮かべながら笑顔で聞き返した。
「フフン」と、エンゼルは笑った。「私がやってきたからには、この村は異教徒の恐怖から救われるであろう」
「しかし、それと女達とは――」「愚かだな」「は?」「愚かだと言っているんだ」「なぜ……」
「異教徒の情報はありがたいが、それが魔女ではないと、私に代わっておまえが証明してくれるのか?」
「魔女なんて――」村長の顔がみるみる怒りに満ち、そして、絶望に変わった。
「私は、なんて愚かなことを……」と、村長は手で顔を覆いながら、その場にひざまずいて嗚咽を漏らした。
 エンゼルが村を去るまで、切り立った険しい峡谷に響き渡る女達の悲鳴が、絶えることはなかった。

 アリエナが恐ろしい噂を耳にしたのは、麓の町へ買い物に降りてきた時だった。
 名前だけは聞いたことのある小さな村で、厳しい魔女狩りが行われたのだという。
 動揺したアリエナは、市場の隅で噂話に熱を上げている女達を見つけると、その横をわざと通り過ぎた。
 声を潜めた話し声の中、片腕の役人、流れ者の男と言う言葉が、たびたび聞こえてきた。
 アリエナは今、生まれ育った村を離れ、山賊ダンテに教えてもらった隠れ里に身を寄せていた。
 子供の頃に起こった事件の後、ダンと仲のよかったアリエナは、魔女に違いないと噂され始めた。
 母親は娘を守ろうと必死だったが、親戚は優しい笑顔のその陰で、教会を通じ審問官の派遣を依頼していた。
 村の人々の冷たい視線に耐えかねたアリエナは、審問官がやってくる数日前、黙って村を飛び出した。
 魔女狩りが行われたと知ったのは、立ち寄ったよその町だった。村の女達は、例外なく裁判にかけられた。
 片腕を失い、失意の内に立ち去ったエンゼルが、強権を行使できる勅書を携え、再び村を訪れたのだという。
”魔女アリエナ”は、人を欺く異端者とされ、教会からも、人々からも追われることとなってしまった。
 やむを得ず人里を離れ、森に分け入ったアリエナは、行き倒れになる寸前、山賊ダンテに命を救われた。
 意識を失う直前、人の姿に戻ったなつかしいダンの顔を、おぼろげだが見たような記憶が残っていた。
 目を覚ますと、ダンテとその仲間達が、暖かな炎を前に食事をしていた。人々は、アリエナを恐れなかった。
 アリエナは、それから山賊達と行動を共にし、山中の隠れ里で、人々とひっそり暮らしていた。

「きっと、ダンだと思うの」アリエナは、久しぶりに里に戻って来たダンテに言った。
「そうかもしれねぇが、どうやってあいつを助けるって言うんだ」と、ダンテは困ったように言った。
「お前の頼みなら、命に代えてもってヤツはたくさんいるだろうが、数が違いすぎる。こっちに勝ち目はない」
「ううん」と、アリエナは首を振った。「私一人でいいの」
「なんだって?」と、ダンテは耳を疑った。「バカな。お前一人で戦うつもりなのかよ」
「大丈夫」と、アリエナは自信ありげに言った。「誰よりも早くダンを見つけて、逃げ道を案内するだけ」
「だからって――」「女一人だけなら、町にも入りやすいわ。それに、ダンに会って、謝りたいの……」
「それにしたって、もしもの時は助けにも行けやしねぇ。ほかに手を考えた方がいい」
「だめ、そんなことをしていたら間に合わない。鳥を売りに来た農民に化ければ、ちゃんと連絡も取れるはず」
 アリエナは、危険だからと止めるダンテに食い下がり、なんとか計画を認めさせた。
「噂どおり、審問官がこの近くに来るんなら、里の人間達も移動しなきゃならねぇ。助けをあてにするなよ」
「わかったわ。ダンがいなければ、私もすぐに戻ってくる。心配はかけないわ」
「ちぇっ」と、ダンテは呆れたように肩をすくめた。「お前が帰らなきゃ、男達は我先に飛び出していくさ」
「期限は七日だ。それまでに戻らなければ助けを出す。ただし、あくまでも審問官の動き次第だからな」
「ありがとう――」アリエナは、真剣な顔でうなずいた。

 鳥かごを抱え、麓の町に降りたアリエナは、魔女狩りが行われた村からやって来たという住人と、話をした。
 鳥を売りに行くつもりだというと、まだ小さな子供のいる家族を連れた男は、おびえたように首を振った。
「あの村には行かない方がいい。もう、ちゃんとした人間なんて、残ってやしない」「なにがあったの?」
 アリエナが何かの足しにと、数枚の銀貨を手渡すと、男は時折涙を浮かべながら、重い口を開き始めた。
 村で行われたのは、魔女狩りだけではなかった。審問官が村人に尋ねたのは、獣のような男の行方だった。
 誰もが知らないというと、魔女裁判と称する拷問が、村人の目の前で、見せつけるように繰り返し行われた。
 村からやって来た男は、家族に手が伸びる前、荷物に家族を潜ませ、商売を理由に逃げ出したのだという。
「探していた男は、見つかったの?」「よそ者の男は、審問官が来る前、暇を貰って、山に向かったんだよ」
 アリエナは町で準備を整えると、村には向かわず、山の尾根に向かって歩き始めた。男の言葉が、蘇った。
「山の尾根は平らで、十分に広い。男はそこに住んでいたんだろうが、逃げるなら、国境を越えるしかない」
 城壁のような山脈が、人を拒むようにどこまでも続いていた。雪を抱いた山頂は、どれも剣先のようだった。
 山賊に教えてもらった生きる知恵が、十分発揮できた。審問官達よりも早く、ダンを見つけられそうだった。
 アリエナは、連れてきた鳥を放した。森に囲まれているとはいえ、日中でも息が白くなるほど寒かった。
 登り始めた麓の町は、眼下を覗いても、もう見えなかった。兵士達の姿を見つけたのは、その翌日だった。

 風上から聞こえた足音に身を潜めると、兵士達がいた。どうやら何班かに分かれ、囲いこむ作戦らしかった。
 不器用に藪の中を進む兵士達は、口々に不満を漏らしていた。訓練の行き届いていない、未熟な兵士だった。
 アリエナは沢や獣道を使い、夜陰に紛れ、尾根にたどり着いた。うち捨てられた廃屋が、幾つか残っていた。
 兵士が潜んでいないか注意しながら、崩れかけた廃屋の中の様子を、一軒ずつうかがっていった。
 わずかに血の臭いが漂う廃屋があった。アリエナは息を潜めながら、斜めになった入り口から中に入った。
 ズキッ、と背中に鋭い物が突きつけられた。「動くな――」と、苦しそうな息をしている男が言った。
「――ダン」と、アリエナはやさしい笑みを浮かべ、振り返らずに言った。「私よ。覚えてる?」
 沈黙が流れた。と、不意に背中の痛みが消え、どしんと人の倒れる鈍い音が聞こえた。
 振り返ったアリエナが見たのは、傷だらけになっているダンの痛々しい姿だった。
「ダン!」と、アリエナは悲鳴にも似た声を上げた。ダンは、朦朧としながら言った。「やあ、アリエナ……」
 ダンの腕を肩にかけ、アリエナは廃屋の外に出た。森の中へ逃げたが、すぐに見つけられてしまった。
 足を引きずったダンは、思ったよりも重傷だった。追いすがる兵士を、倒木の下に隠れてやり過ごした。
「国境を越えよう」と、ダンは言った。「そんな体じゃ無理よ」「月が出るまでの我慢さ」「強がってもだめ」
「奴らの狙いはこの体だ。もし倒れたら、隠して逃げて」「聞こえないわ」アリエナは、怒ったように言った。

 エンゼルの耳に男の情報が入った。ひそかに進めていた山狩りが的中したと、思わずほくそ笑んだ。
「間違いないんだろうな」「それが……」と、伝令の兵士が耳打ちをした。「それは願ったり叶ったりさ」
 逃げる二人の頭上を、弓が唸りを上げて飛んでいった。「くそっ」と呟くダンの背には、矢が刺さっていた。
 山を下りる道は、すべて兵士達によって塞がれていた。アリエナは、自分の失敗にほぞを噛んだ。
 当然考えられることだったが、自分から進んで、罠の中に足を踏み入れるような結果になってしまった。
 危険を冒して、国境を越えるしか道は残されていなかった。しかしそれは、エンゼルの思うつぼだった。
 天候が変わりやすい山の地の利を利用して、アリエナはダンをかばいながら、濃い霧の中を進んでいた。
「この尾根を登れば、国境よ」「ああ……」と、ダンは力なく答えた。ちらちらと、雪が舞い始めた。
 月が満ちてくるにつれ、ダンの体に力がみなぎってきたが、まだ幾日もたたなければ、満月は訪れなかった。
 尾根にたどり着いたと思ったとたん、エンゼルの勝ち誇ったような声が聞こえた。「遅かったな――」
「くっ」と、アリエナは悔しそうな声をもらした。エンゼルと兵士達が、薄れていく霧の向こうに並んでいた。
「さぁ小娘、獣と一緒に来てもらおうか」「触るな!」と、アリエナは肩に伸びたエンゼルの手を払いのけた。
 ザザッと、兵士達が武器を構えた。「フフフッ……」と、笑ったエンゼルの顔色が、すぐに青ざめた。
 ヒュン――という音と共に兵士が倒れた。振り返ると、すっきりと晴れた尾根の向こうに異国の軍隊がいた。

 血相を変えたエンゼルは、一人二人と倒れる兵士達を飛び越へ、転げるように山を下りていった。
 異教の国の軍隊が、弓を放ちながら攻めこんできたのだった。アリエナは、力なく座りこんでしまった。
 鬨の声が、天を震わせるほど響き渡った。追ってきた者達が、逆に追われる立場となっていた。
 町の人々は、無事に逃げられるだろうか……。
 アリエナは動かなくなった兵士達を見ながら、祈るように手を合わせていた。
 一人馬に乗り、近づきがたい雰囲気を放った男が、二人のそばにやってきた。
「気高き血を持つ男か?」と、太い声が聞こえた。呆けたような顔を上げたアリエナは、コクリとうなずいた。
 濃いひげを生やした男は馬から下りると、うつ伏せに倒れていたダンを担ぎ上げた。
「一緒に来い」と、男は言った。「私達は悪魔じゃない。命をかける神がお前達とは違うだけだ。歓迎しよう」
 アリエナは、男の目が、どこかダンと同じような色をたたえているのに気がついた。
 二人は、雪に覆われた国境を越え、異国の兵士と共に山を下りて行った。
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