1 天穂日を祀る旧八頭郡の神社(合併前の神社も含む)
※日下部上神社 八頭郡安部村大字日下部字宮ノ谷(祭神 天穂日命、明治元年合祀ー倉稲魂命、保食神)
※隼神社 八頭郡隼村大字見槻中字宮ノ本(祭神25神)
※土師神社 八頭郡賀茂村大字稲荷字川向(祭神 天穂日命)
※大江神社 八頭郡大伊村大字橋本字馬場(祭神61神)
河下の北側だけを見張っていればよい、地理的には天然の要害の地である。北側には船岡町がある。周囲が八重垣の地である。因幡国二ノ宮であり、素戔嗚と稲田姫が初めに住んだ御殿と思われる。大国主はここで生まれた。北側で天穂日が見張りをしていた。
河下の北側だけを見張っていればよい、地理的には天然の要害の地である。北側には船岡町がある。周囲が八重垣の地である。因幡国二ノ宮であり、素戔嗚と稲田姫が初めに住んだ御殿と思われる。大国主はここで生まれた。北側で天穂日が見張りをしていた。
※湯谷神社 八頭郡西郷村大字湯谷字大瀧(祭神 天穂日命、明治元年合祀ー瀬織津姫神、保食神)
※都波奈彌神社 八頭郡散岐村大字和奈見字林ノ内(同村字宮の上 岡神社、祭神8神)
※都波只知上神社 八頭郡散岐村大字佐貫字林ノ谷(同村字宮の前 石坪神社、祭神19神)
※田岡神社 八頭郡佐治村大字津無字南ヶ市
素戔嗚が 神大市比売と結婚したので、稲田姫とその両親と幼い大国主はこちらに移ったと思われる。警護をしていた天穂日も湯谷神社、都波奈彌神社、都波只知上神社に移っていたと思われる。
素戔嗚が 神大市比売と結婚したので、稲田姫とその両親と幼い大国主はこちらに移ったと思われる。警護をしていた天穂日も湯谷神社、都波奈彌神社、都波只知上神社に移っていたと思われる。
※向山神社 八頭郡智頭町大字市瀬字上御手屋敷(千賊山の板井原集落内)
板井原を八上売沼神社に向かって降りていくと途中に「和多里世箭子の水」という説明板がある。そこには「千賊(洗足)山に住んでいた鬼が、日中人目を忍びワサビ谷を下り、この水を飲んで馬乗橋下のオウ穴で水浴し、八上姫に会いに行ったと言い伝えられている」とある。
※八上売沼神社 祭神 八上姫神 八頭郡八上村大字曳田字上土居
「この曳田郷をひらいたのは漂着した外地の船人たちである」とする。
「この曳田郷をひらいたのは漂着した外地の船人たちである」とする。
※私見
(1) 大江神社と田岡神社とは千代川を挟んで左右対称の位置にある。これは素戔嗚がいた時(大江神社)と素戔嗚が神大市比売と結婚して稲田姫のもとを去っていなくなった時(田岡神社)とに分けられると思われる。
大江神社は天然の要害の地であり、周囲を八重垣といっても過言ではない。大江神社には大国主、天穂日、素戔嗚、稲田姫がいたと思われる。大国主の生誕地は大江神社と思われる。藤原氏はそれを隠すために全国一祭神を多くした。
(1) 大江神社と田岡神社とは千代川を挟んで左右対称の位置にある。これは素戔嗚がいた時(大江神社)と素戔嗚が神大市比売と結婚して稲田姫のもとを去っていなくなった時(田岡神社)とに分けられると思われる。
大江神社は天然の要害の地であり、周囲を八重垣といっても過言ではない。大江神社には大国主、天穂日、素戔嗚、稲田姫がいたと思われる。大国主の生誕地は大江神社と思われる。藤原氏はそれを隠すために全国一祭神を多くした。
大江神社を守るために日下部上神社と隼神社に天穂日がいたものと思われる。
田岡神社には素戔嗚が神大市比売と結婚して稲田姫のもとを去ってから大国主と稲田姫は移ったと思われる。
田岡神社を守るために湯谷神社と都波奈彌神社と都波只知上神社に天穂日はいたと思われる。
田岡神社を守るために湯谷神社と都波奈彌神社と都波只知上神社に天穂日はいたと思われる。
都波奈彌神社と都波只知上神社と隼神社と大江神社は祭神が多すぎるが、天穂日を目立たなくするために祭神を多くしたと思われる。
(2) 土師神社と向山神社にも天穂日が祀られているが、土師神社は川のすぐそばにあり簡単に浸水しそうなところである。大江神社や田岡神社とは離れており天穂日が警護をしていたとは思われない。土師神社には準王一族(出雲神族)がいたと思われる。
(2) 土師神社と向山神社にも天穂日が祀られているが、土師神社は川のすぐそばにあり簡単に浸水しそうなところである。大江神社や田岡神社とは離れており天穂日が警護をしていたとは思われない。土師神社には準王一族(出雲神族)がいたと思われる。
向山神社は千賊山のまだ奥の高いところにある。千賊山には八上姫と会った鬼の伝承があり、鬼といわれていた準王一族(出雲神族)がいた。千賊山の奥の板井原にも準王一族(出雲神族)はいたと思われる。この神社も大江神社や田岡神社とは離れており天穂日が大国主を警護をしていたとは思われない。
土師神社は賀茂神社に、向山神社は諏訪神社に合併された。賀茂神社も諏訪神社も準王一族(出雲神族)を崇拝していた藤原氏の神社ネットワークとして造られたものである。準王(千家系図2代の建比良鳥に比定)一族(出雲神族)は初代天穂日を祀っていたから、土師神社と向山神社に天穂日を祀っていたのは準王一族(出雲神族)であったと思われる。土師神社(天穂日)と向山神社(天穂日)の地にいたのは天穂日ではなく準王一族(出雲神族)と思われる。
2 那岐神社 八頭郡那岐村大字大春字宮の本(祭神 伊邪那岐命、伊邪那美命ほか17神)
伊邪那岐命は黄泉国が嫌になっていたから、高天原、泊瀬の海原、夜の食国は三貴神に任せて八頭郡の那岐村に移った。
3 素戔嗚は海原を治めるつもりでいたが三朝町山田で八岐大蛇を殺してから殺害現場の近くにいることができず、伊邪那岐命が移った那岐村の近く(八頭町大江郷)に稲田姫との御殿を建てた。
素戔嗚と稲田姫は大江神社と田岡神社に来ていたから、天穂日も素戔嗚を守るために旧八頭郡に来ていた。大国主命は大江神社で生まれた。紀元前208年頃と思われる。鬼が千賊山に来たとき(早くとも紀元前194年)には大国主は14歳くらいになっていた。八上姫をめぐる大国主のライバルは準王一族(のちに鬼・土蜘蛛・蝦夷と呼ばれる)であった。素戔嗚は大国主がまだ幼い頃に大国主と別れている。根国での冒険は父親が息子に対して強くなるための躾けであった。
4 大山祇も伊邪那岐と一緒に那岐山周辺に来ていた。
大屋神社 那岐村大字大屋字一ノ谷奥(祭神 素戔嗚、宇迦之御魂命、大山祇命)
宇迦之御魂命(須勢理姫)と父と祖父は最初ここにいたものと思われる。
大屋という地名は岡山県、兵庫県にもあるが大屋比古のいた木国は智頭町かもしれない。
5 おまけ
那岐駅
那岐神社の真向かいにある高貴山極楽寺
高貴山極楽寺(開創646年)は乙巳の変(645年)の藤原氏と関係がありそうである。