先日、安来市加納美術館の名誉館長加納佳世子氏の講演に行きました
ボランティアの会ではいろいろな研修があり、私にとっては思いがけず楽しみな時間になりそうです
今回の研修はこの講演を聴くのが私にとっての一番の目的でした
加納莞蕾(本名辰夫)は島根県能義郡布部村(現在の安来市広瀬町布部)に明治37年に生まれた画家です
私が知っていた知識はこれだけでした^^;
莞蕾ははじめ、二科展に出品しましたが、独立美術協会の第一回展より参加し、会友となり
島根に独立美術の根を下ろした人です
そして戦時中には従軍画家を務めていて、中国山西省に赴いていた時には
洋画と並行して水墨画にも傾注していた莞蕾は
山西省の大自然から「墨に五彩あり」という言葉の真髄を発見したそうです
そして何よりもすごいなと思ったのは戦後、フィリピン戦犯の釈放運動をしたことだと思います
終戦によりフィリピン刑務所に戦犯として収容されていた日本兵108名の釈放助命嘆願をおこし
布部という村からたった一人で送った嘆願の手紙は
当時のフィリピン大統領のキリノ大統領、マッカーサー元帥、インドネール首相、ローマ法王等へ300通以上に及び、
ついに全員釈放の一助となったといいます
この活動に没頭して家族の生活はかなり苦しかったそうですが・・・
そしてキリノ大統領は妻と3人の子どもと5人の家族を日本軍に目の前で殺されたにも拘らず
「赦しがたきを赦し、憎しみは日本国民に渡さない」と声明を出し日本人戦犯108名に恩赦をあたえ帰国させた
この活動だけが理由ではなく様々なことがつながってキリノ大統領が難しい決断をされたのでしょう
私は今年の1月に天皇皇后両陛下がフィリピンを訪問された際
キリノ大統領のお孫さんにお会いになられた理由を今一つ理解してませんでしたが
今回講演を聴いてそうだったのか・・・・と自分の無知さをとても恥ずかしく思いました^^;
莞蕾は1954~57年、今の安来市の一部である旧布部村の村長を務め
55年、静養のために来日したキリノ元大統領tと東京で面会を果たしたそうです
56年8月には村議会で「布部村平和五宣言」を決議して
自治の徹底と国際親善、世界連邦の一員としての自覚、原水爆禁止を高らかにうたい、
子どもの権利を守る世界児童憲章の制定促進も訴えたといいますからこんな田舎町で・・驚きです
先月、日比谷公園公会堂前に六代フィリピン大統領エルピッドキリノの顕彰碑が建立されました
今年1月に天皇皇后両陛下がフィリピンを訪れ慰霊の旅をされたのを期に
キリノ大統領を顕彰しようという声が起こったそうです
除幕式にはキリノ大統領の孫のルビーさん、フィリピン上院議長、ロペス大使、高村自民党副総裁など出席されたそうです
島根県で平和活動というと永井隆を思い出しますが
こんな素晴らしい活動をされていた莞蕾のことを勉強したいと思っています
というわけで今週の隙間時間に美術館に行って名誉館長である莞蕾の四女佳世子氏から話を伺うことにしています
今からその時間がとても楽しみです♪