宮沢賢治
2019-11-08 | 日記
夏頃から 宮沢賢治がマイブームです
この歳になって改めて読むと学生の頃とは違う思いが湧いてくる
この夏2度ほど 宮沢賢治の話を聞く機会があったことと
恩田陸の 蜜蜂と遠雷で 春と修羅が演奏されたこと
これが読むきっかけになった
しかも この秋 春と修羅は 蜜蜂と遠雷の映画で実際に音で形になったし
いろいろなタイミングが重なりました
実際に 賢治の生い立ちや作品への思いなどの説明を聞いて もっと知りたくなって
いろいろ図書館から資料を借りて読んでいるのですが
何故だか 私の心を癒してくれます
それは
賢治の話を聞いた時もそうだったのですが 宗教観が大いに影響してるからでしょう
それを なくしては賢治の作品はかたれないと説明を聞きましたけど
そう思って作品を読むと春と修羅はなるほどです
もともと家が親鸞の信者だったので親鸞と日蓮の狭間で悩んだのでしょうね
私は 特に信仰があるわけではないですが
偶然ですが 親鸞と日蓮、空海の教えは随分読みました
なので 賢治研究の本は なるほどと納得しました
賢治の作品は詩など数多く残されていますが 早逝で
ほぼ全ての作品はその死後に出版されていて
生前出版されたのは注文の多い料理店と春と修羅
春と修羅を改めて読んだが 心の内面が描かれていて賢治の独特な仏教的な世界観
宇宙感、他人への深い愛情、自然と対峙する命の姿
賢治は熱心な法華経信者で彼が東京に出奔したのも、信仰にまい進するためだったそうですね
賢治は教主に諭されて、法華経をわかりやすく説いた文学でも書いたら
と言われたことがきっかけで法華経の精神が散りばめられた作品を残しています
この世は修羅の世であると賢治は断言していますが
現実世界で個人間、人種間、国家間での争いが絶えることがなくて
修羅の世なのでしょう
大地にしっかりと足を降ろして立ち上がり、永遠生命を地上世界に具体的な形で表現しながら
一歩一歩歩んでいくという生き方が可能
こんな教えに感動し法華経に心を動かされたと言いますが
改めて 前を向いて頑張らなくてはと
賢治の文学に癒され励まされました
しばらくブームが続くかもです
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたところで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
〜春と修羅〜
この歳になって改めて読むと学生の頃とは違う思いが湧いてくる
この夏2度ほど 宮沢賢治の話を聞く機会があったことと
恩田陸の 蜜蜂と遠雷で 春と修羅が演奏されたこと
これが読むきっかけになった
しかも この秋 春と修羅は 蜜蜂と遠雷の映画で実際に音で形になったし
いろいろなタイミングが重なりました
実際に 賢治の生い立ちや作品への思いなどの説明を聞いて もっと知りたくなって
いろいろ図書館から資料を借りて読んでいるのですが
何故だか 私の心を癒してくれます
それは
賢治の話を聞いた時もそうだったのですが 宗教観が大いに影響してるからでしょう
それを なくしては賢治の作品はかたれないと説明を聞きましたけど
そう思って作品を読むと春と修羅はなるほどです
もともと家が親鸞の信者だったので親鸞と日蓮の狭間で悩んだのでしょうね
私は 特に信仰があるわけではないですが
偶然ですが 親鸞と日蓮、空海の教えは随分読みました
なので 賢治研究の本は なるほどと納得しました
賢治の作品は詩など数多く残されていますが 早逝で
ほぼ全ての作品はその死後に出版されていて
生前出版されたのは注文の多い料理店と春と修羅
春と修羅を改めて読んだが 心の内面が描かれていて賢治の独特な仏教的な世界観
宇宙感、他人への深い愛情、自然と対峙する命の姿
賢治は熱心な法華経信者で彼が東京に出奔したのも、信仰にまい進するためだったそうですね
賢治は教主に諭されて、法華経をわかりやすく説いた文学でも書いたら
と言われたことがきっかけで法華経の精神が散りばめられた作品を残しています
この世は修羅の世であると賢治は断言していますが
現実世界で個人間、人種間、国家間での争いが絶えることがなくて
修羅の世なのでしょう
大地にしっかりと足を降ろして立ち上がり、永遠生命を地上世界に具体的な形で表現しながら
一歩一歩歩んでいくという生き方が可能
こんな教えに感動し法華経に心を動かされたと言いますが
改めて 前を向いて頑張らなくてはと
賢治の文学に癒され励まされました
しばらくブームが続くかもです
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたところで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
〜春と修羅〜