日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

200年前に生きていたら

2009年02月19日 02時23分54秒 | 日本事情
 人間の一生は、平均年齢だけ見れば男性は大体80年。でも、ちょっと昔は50歳程度だったそうだ。それを考慮すると、僕の人生は、もう既に終盤を迎えてしまっていると言える。

 僕は今2009年を生きているわけだが、もし200年前に今の年齢だったら何をしていただろうかと想像してみると楽しいものだ。

 1809年。江戸時代後期。士農工商の4つに身分が区分され、大半が農民であった時代。国内での戦争はもう200年以上もなく、黒船も来航していないから、一般庶民は平和ボケしているに違いない。200年なんてちょっと前の話なのに、現在の世の中と比べてこれだけ違うかと思うと驚きである。

 僕は恐らく平凡な農民の子供として生まれたのではないかと思う。でも、学で身が立てられると知っていれば、立身出世を目指して、インテリを気取って勉強していたかもしれない。

 ただし、その頃は農耕具もお粗末だから、農作業は人手が必要な大変なものであった。従って、普通の農家に生まれた僕が勉強できる時間も金も親の教育もなかったことは想像に難くない。

 残念ながら、どの時代に生まれても、人生はその家庭環境に大きく左右されるのである。もちろん、今のようにブラジルにいることはまずあり得ない。最高の交通手段が馬であるから、引っ越せてもせいぜい隣町かそんなところであろう。藩をまたいでいる可能性は低い。

 娯楽も少なく、電灯もない時代だから、盆踊りなどの年中行事は唯一の楽しみであったろうし、夜になればすぐ寝る。夫婦の楽しみはSEXだけ。また、当時はお産で亡くなる子供、幼くして病気で亡くなる子も多かったから、それこそ子供は多く作ったのである。

 今のような年金制度なるもので老後も生活が保障されているわけではない。だから、一般の人が老後を安心して暮らすためには、自分の持ち家を持ち、たくさんの子供を生んで、自分自身が衰えた時に子供に面倒を見てもらおうとした。つまり、子供は人生に対する保険だったのである。

 それはある意味、天の理にかなっていると思う。親は愛情を持って子供を育て、その代わり子供は将来自分の親の面倒を見る。親孝行が徳と言われる所以である。孫も入れた3世代の大所帯。お互いが助け合うという精神。子供は小さい頃から身近な家族の病気、死、助け合いなどを目の当たりにし、人生の生き方を身を持って知る。

 今は年金制度があって、一生を通じてきちっと働いて税金さえ納めておけば、老後を心配する必要はなく、子供がいなくても生きていける。死へのカウントダウンへの戦友(仲間)が欲しければ、老人ホームに入ればいい。とにもかくにもお金さえあれば心配はない。だから、親子間の絆も浅く、せちがない世の中と化している。

 ところで、200年前、優秀な農民たるにはどうであればよかったのか?早く稲を刈り取れること?稲の成長の様子の把握に長けること?天候を予測できること?一生懸命働くこと?

 今は派遣切りとか言って、弱い者から切っていく。200年前は小作農をまず切ったんじゃないのだろうか?そして、彼らは餓死するなり、ほかの身寄りを頼るなりした。時代は常に弱い者から切っていく。弱肉強食の世界は今も昔も変わらない。

 そんな時代を生き残っていくにはどうすればいいのか?少数の人しか持っていない特殊な技術。人間としての賢さや誠実さ。社会的に成功している人との強いつながり(人脈)。やはり200年前も今も生き残っていくのに人に必要とされているものは同じではないだろうか。

 時代は変わっても、物事の本質は変わらない。だからこそ、先人に学ぶべきことは多い。

 人間の体は神様に返す必要があるが、魂は再びこの世に戻ってくるという。もしその戻ってくる魂が同じものであれば、成功する人はどの時代に生まれても成功する。また、失敗する人はどの時代に生まれても前世と同じ失敗を繰り返す。

 僕の魂は成功する魂なのだろうか?前世では一体どこの誰だったのだろう?

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