JICAの青年ボランティア制度では、派遣前に1ヶ月半の語学研修を受ける。僕の場合、ブラジル派遣だったので、ポルトガル語の研修を受けた。先生は日系ブラジル人でほとんど日本語の説明でポルトガル語の文法を教わった。しかし、1ヵ月半で学べる内容などたかが知れている。結局、研修終了後から派遣まで3ヶ月以上の期間が空いたので、ブラジルに着いた頃にはほとんど忘れていた。
僕が派遣されたのは、サンパウロ州から内陸に入ったパカエンブーという人口1万2596人(2004年)の小さな町。元々語学が好きで、赴任した当初からブラジルに残ろうと決心していたので、とにかくポルトガル語だけはものにしたいと思っていた。
しかし、ポルトガル語の文法書をいくら勉強しても、実際に話されているポルトガル語と違うために理解できない。個人教授の先生がいれば、質問すれば聞けるのにと思っていたが、なかなか先生が見つからない。この点は小さい片田舎に住むと不便な所である。
ブラジルに滞在し始めて1年が過ぎた頃、公文が開講され、そこでポルトガル語と数学が教えられているという噂を耳にする。僕は藁にもすがるような気持ちで、公文の教室を訪ねた。先生は僕より3つ年上の女性で、自分は数学の先生なので、ポルトガル語を外国人に教えられるかは分からないので、考えさせてくれとの返事をもらう。
結局、先生は僕を生徒として受け入れてくれた。公文のポルトガル語教材はアルファベットの学習に始まり、ブラジルの小学生を対象にした物語などから構成されていた。最初は本当に短い物語であったが、そこに使用されている語彙や表現は中級のポルトガル語表現であるため、馬鹿にできなかった。
週に2回、家で公文の教材をこなしつつ、普段の生活で気になった表現や語彙を授業で聞いた。先生には特別に僕だけ1時間ほど時間を空けてもらい、個人授業のような形式で教えていただいた。僕は文法事項の小さな違いにこだわる嫌な生徒であったため、先生にとっては大変であったと思うが、彼女は答えられる範囲で説明してくれた。
彼女は実は僕がお世話になり始める2年前に、数学の先生になる公務員試験で不合格していた。生活の糧を稼ぐ手段として公文のライセンスが取れるコースを履修し、自分で公文式の私塾を1年前に開講していた。そして、彼女の教育への熱心さが受けたのか、生徒数はうなぎのぼりに増えていった。
僕がポルトガル語の授業を受けていた2年間にも年々生徒数は増えていた。そして、今回のパカエンブー旅行で8年ぶりに彼女を訪ねた。12月31日という年の瀬に訪ねると、親戚一同が集まって昼食を食べていた。
かなり迷惑な客であったが、彼女は親切に広間に通してくれた。彼女の話によると、当時90人ほどであった生徒数は2倍に膨れ上がり、町の人口に対する生徒数の多さとその生徒たちの成績の優秀さにより、ブラジル一番として表彰され、日本からも公文のお偉いさん方が訪問され、彼女は日本にも招かれ、講演を行ったという。また、南米中からも講演の依頼で引っ張りだこで、公文は大成功だそうである。
すごいなと思う。自分の挫折をチャンスに変え、自分を信じて成功する。口で言うのは簡単だが、実行し、それを実現するのはそう簡単ではない。
「お金持ちになる本」に書いてあった。自分の好きなことをしなさい。お金のことは考えずに、自分が人に与えるサービスのことだけに心を集中しなさい。恐らく、彼女はその教えを実行したから、このような結果を得られたのだと思う。
僕は何が好きか。日本語を教えること。翻訳をすること。日本文化を伝えること。ブラジル人と交流すること。好きなことを仕事にできている僕は本当に幸せである。
2008年は日本語学習サイトを立ち上げ、日本語の授業の方はそれなりの結果が出た。でも、翻訳の方がいまいちである。今年は翻訳の受注量を大幅に増やしたい。 僕もポルトガル語の先生のように、自分を信じて努力すれば、絶対にこの目標は達成できるはずである。
僕が派遣されたのは、サンパウロ州から内陸に入ったパカエンブーという人口1万2596人(2004年)の小さな町。元々語学が好きで、赴任した当初からブラジルに残ろうと決心していたので、とにかくポルトガル語だけはものにしたいと思っていた。
しかし、ポルトガル語の文法書をいくら勉強しても、実際に話されているポルトガル語と違うために理解できない。個人教授の先生がいれば、質問すれば聞けるのにと思っていたが、なかなか先生が見つからない。この点は小さい片田舎に住むと不便な所である。
ブラジルに滞在し始めて1年が過ぎた頃、公文が開講され、そこでポルトガル語と数学が教えられているという噂を耳にする。僕は藁にもすがるような気持ちで、公文の教室を訪ねた。先生は僕より3つ年上の女性で、自分は数学の先生なので、ポルトガル語を外国人に教えられるかは分からないので、考えさせてくれとの返事をもらう。
結局、先生は僕を生徒として受け入れてくれた。公文のポルトガル語教材はアルファベットの学習に始まり、ブラジルの小学生を対象にした物語などから構成されていた。最初は本当に短い物語であったが、そこに使用されている語彙や表現は中級のポルトガル語表現であるため、馬鹿にできなかった。
週に2回、家で公文の教材をこなしつつ、普段の生活で気になった表現や語彙を授業で聞いた。先生には特別に僕だけ1時間ほど時間を空けてもらい、個人授業のような形式で教えていただいた。僕は文法事項の小さな違いにこだわる嫌な生徒であったため、先生にとっては大変であったと思うが、彼女は答えられる範囲で説明してくれた。
彼女は実は僕がお世話になり始める2年前に、数学の先生になる公務員試験で不合格していた。生活の糧を稼ぐ手段として公文のライセンスが取れるコースを履修し、自分で公文式の私塾を1年前に開講していた。そして、彼女の教育への熱心さが受けたのか、生徒数はうなぎのぼりに増えていった。
僕がポルトガル語の授業を受けていた2年間にも年々生徒数は増えていた。そして、今回のパカエンブー旅行で8年ぶりに彼女を訪ねた。12月31日という年の瀬に訪ねると、親戚一同が集まって昼食を食べていた。
かなり迷惑な客であったが、彼女は親切に広間に通してくれた。彼女の話によると、当時90人ほどであった生徒数は2倍に膨れ上がり、町の人口に対する生徒数の多さとその生徒たちの成績の優秀さにより、ブラジル一番として表彰され、日本からも公文のお偉いさん方が訪問され、彼女は日本にも招かれ、講演を行ったという。また、南米中からも講演の依頼で引っ張りだこで、公文は大成功だそうである。
すごいなと思う。自分の挫折をチャンスに変え、自分を信じて成功する。口で言うのは簡単だが、実行し、それを実現するのはそう簡単ではない。
「お金持ちになる本」に書いてあった。自分の好きなことをしなさい。お金のことは考えずに、自分が人に与えるサービスのことだけに心を集中しなさい。恐らく、彼女はその教えを実行したから、このような結果を得られたのだと思う。
僕は何が好きか。日本語を教えること。翻訳をすること。日本文化を伝えること。ブラジル人と交流すること。好きなことを仕事にできている僕は本当に幸せである。
2008年は日本語学習サイトを立ち上げ、日本語の授業の方はそれなりの結果が出た。でも、翻訳の方がいまいちである。今年は翻訳の受注量を大幅に増やしたい。 僕もポルトガル語の先生のように、自分を信じて努力すれば、絶対にこの目標は達成できるはずである。
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