当時はプーナと呼ばれ、思想家バグワン・シュリ・ラジネーシのアシュラムがあった場所で、
1986年は本人が滞在し、世界中から、彼の思想に共鳴する人が集まっていた。
現在はオショウ・コミューンに成っているようです。
ラジネーシに興味があったのではないが、ツレの薦めもあり、
道を求めるという事が、何なのか、そう人達に興味がありました。
1982年、当時バンクーバーのユースホステルで、ボランテァをしていた頃、
オレゴン州にあったラジネーシのアシュラムを目指して、家出した日本の若者に合った。
青年は有名大学を卒業、一流企業に就職、全ては親の引いた路線で生きていた。
青年はバグワンの本を読み、書置きだけ残して、家出したと言う。
その頃、ラジネーシの信者はオレンジの服を着て、写真をペンダントにして首からさげていた。
その後、青年がどういう人生を歩んだかは、存じませんが、
日本でも、かなり多くの人がラジネーシから影響を受けていたと思う。
オウム真理教は、この組織を模倣したとも言われているが、
武装する教団はおかしい、オウムを政府が真似ているよう。
グルジェフ、クリシュナムルティ、ラジネーシなど、
神秘思想家と呼ばれているが、人は誰もが導いてくれる指導者を求める。
私達はそういう人をグルと呼んでいるが、私にとってのグルはツレでした。
彼も思想家で、常に生きるとは、人間とは何かを考えていた。
プネーの駅から、アシュラムまではリキシャーを利用しないと、歩ける距離ではなかった。
アシュラムでは、ヨガや様々なクラスがあり、時代の繁栄か、日本人が多かった。
どうみても、豊かに育った若者達に見えた。
とにかく、この目でラジネーシ本人を見るまでは、滞在しようと思い、
講話のある日まで、5日間位、高いのを我慢して、近くの安ホテルに滞在した。
聞くと、マンションや貸家を数万円で借りて、長期滞在する人もいた。
私にはこのアシュラムが、現実感のない理想の社会で、
それは幻想のような、夢の中にいるような、そんな顔の人が多かったと感じた。
入信している人が多いようだが、私のように信者でなくても、規定の金額を支払えば施設に入れた。
ラジネーシは匂いを嫌うと言い、講話の前に、入り口でスタッフが匂い検査をする。
とても大柄の人でした、深い眼差しと、彫りの深い顔。
講話は英語なので、ほとんど理解できなかった(事前に本も読んでないから)。
ただ、私はじっと彼を見て、彼のオーラを感じようとしていた。
真実を知りたかったら、ここから離れなさいと言っているようでした。
講話が終わると、泣き出す人や、笑い出す人もいました。
私は、ひとつの信仰に向かって、徒党を組むような体質に向いていないと、つくづく感じました。
人生の答えは、誰もだしてはくれない。
自分で捜し、見つけ、答えは、自分で出すしかないと思いました。
それは、早いとか遅いとかではなく、人それぞれにタイミングがあると思う。
何て悟ったつもりに、なっていただけですが。
この時から30年、自分も求道者のような人生になりました。
プネーからは、夜行バスでボンベイに向かいます。
続く