雪姫鳥の独り語

雪姫鳥の山暮らし、日常に感じる事。
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食べ物や子育て、雪姫鳥のエコライフ。

1987年インド紀行 vol. 8 プネー

2018-07-20 09:23:29 | 

当時はプーナと呼ばれ、思想家バグワン・シュリ・ラジネーシのアシュラムがあった場所で、

1986年は本人が滞在し、世界中から、彼の思想に共鳴する人が集まっていた。

現在はオショウ・コミューンに成っているようです。


ラジネーシに興味があったのではないが、ツレの薦めもあり、

道を求めるという事が、何なのか、そう人達に興味がありました。


1982年、当時バンクーバーのユースホステルで、ボランテァをしていた頃、

オレゴン州にあったラジネーシのアシュラムを目指して、家出した日本の若者に合った。

青年は有名大学を卒業、一流企業に就職、全ては親の引いた路線で生きていた。

青年はバグワンの本を読み、書置きだけ残して、家出したと言う。

その頃、ラジネーシの信者はオレンジの服を着て、写真をペンダントにして首からさげていた。

その後、青年がどういう人生を歩んだかは、存じませんが、

日本でも、かなり多くの人がラジネーシから影響を受けていたと思う。

オウム真理教は、この組織を模倣したとも言われているが、

武装する教団はおかしい、オウムを政府が真似ているよう。


グルジェフ、クリシュナムルティ、ラジネーシなど、

神秘思想家と呼ばれているが、人は誰もが導いてくれる指導者を求める。

私達はそういう人をグルと呼んでいるが、私にとってのグルはツレでした。

彼も思想家で、常に生きるとは、人間とは何かを考えていた。


プネーの駅から、アシュラムまではリキシャーを利用しないと、歩ける距離ではなかった。

アシュラムでは、ヨガや様々なクラスがあり、時代の繁栄か、日本人が多かった。

どうみても、豊かに育った若者達に見えた。

とにかく、この目でラジネーシ本人を見るまでは、滞在しようと思い、

講話のある日まで、5日間位、高いのを我慢して、近くの安ホテルに滞在した。

聞くと、マンションや貸家を数万円で借りて、長期滞在する人もいた。

私にはこのアシュラムが、現実感のない理想の社会で、

それは幻想のような、夢の中にいるような、そんな顔の人が多かったと感じた。

入信している人が多いようだが、私のように信者でなくても、規定の金額を支払えば施設に入れた。


ラジネーシは匂いを嫌うと言い、講話の前に、入り口でスタッフが匂い検査をする。

とても大柄の人でした、深い眼差しと、彫りの深い顔。

講話は英語なので、ほとんど理解できなかった(事前に本も読んでないから)。

ただ、私はじっと彼を見て、彼のオーラを感じようとしていた。

真実を知りたかったら、ここから離れなさいと言っているようでした。


講話が終わると、泣き出す人や、笑い出す人もいました。

私は、ひとつの信仰に向かって、徒党を組むような体質に向いていないと、つくづく感じました。

人生の答えは、誰もだしてはくれない。

自分で捜し、見つけ、答えは、自分で出すしかないと思いました。

それは、早いとか遅いとかではなく、人それぞれにタイミングがあると思う。

何て悟ったつもりに、なっていただけですが。

この時から30年、自分も求道者のような人生になりました。


プネーからは、夜行バスでボンベイに向かいます。

続く


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