ゆきちゃん通信++tomiの日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日と
母の生活を綴っています。

1998年7月 (5歳)

2001年01月28日 | ゆきちゃんの日記
これは1998年5月の日記です。
月に一回しか通えなかった
療育センターに持っていくために
書いた日記です。



1日(水)

保育園の予定表にプール開きが13日と書いてあった。

早く来い来い13日!

由紀子に新しい水着をかってやった。

今年は黄色の花柄。


2日(木)

今日は保育園で昼寝をしなっかったのか

機嫌が悪くて回りに当たり散らして寝てしまった。

今日は福江小学校に通う
自閉症児の親3人で集まってお茶会をした。
(私は来年入学ですが・・・。)

転勤してこられたN西さんは頼もしい存在です。

3人で何が出来るか分からないけれど
保健婦の増田さんを巻き込んで何かをしたいと思う。


3日(金)

由紀子とお風呂に入って

「今日保育園で何したの?」

と聞いていたら、

「O上先生いない」

とつぶやいた。

入院の日にも同じ事をつぶやいたことを思い出して
ドキッとしてしまった。

そういえば昨日から機嫌が悪かったっけ。

もしかしたらO上先生が
また出張しているのかもしれない。

先生がいなくなるかもしれないという
不安がまた膨らんでいるのかもしれない。

「O上先生帰ってくるよ!
明日はいるかもしれないよ!」

必死に慰めて寝せました。


4日(土)

朝保育園に行くとO上先生が出迎えてくれた。

由紀子はうれしそうに
私にバイバイと手を振って中に入っていった。

先生に昨日のことを話したら
そうかもしれないと言っていた。

これから長く出張に出る時には
由紀子に

「待っていてね!」

と言ってくださると助かるのだが・・・。


5日(日)

お父さんに金曜日からのことを話していると

横にいた由紀子が急に

「おしまい!」

と言った。

話の内容がわかっているのかもしれない。

その後、お父さんとチャンネル争いをして大泣きし、
ついに勝った由紀子でした。


6日(月)

福江小学校の校長先生のところへ
由紀子のことで話を聞きにいってきた。

前回福江小学校の見学にいったとき

校長先生の話を聞くことが出来なかったので
あらためてお願いをした。

障害のある子供は

個別の指導を受けたほうが
その子のためだと言うことと、

特殊学級に入ったからといって
そこに閉じ込めてしまうのではなく

親学級との交流を大切にしていることを強調された。


入学時に普通学級に入ってから
学期の区切れで特殊学級への移行はできるのか

という私の質問には

「121人とか、
学級数の変更を伴わない移行であれば問題はない」

ということだった。


7日(火)

昨日の夜中からまた咳がひどくなった。

用心のために病院へ連れて行くことにした。

たいしたことはないということなので
病院の後保育園へ。

保育園から七夕のささをもらって帰ってきて
家で飾り付けをした。

毎年この時期になると
2年間前にビニールの笹に飾り付けをしていて
H山先生に

由紀ちゃんには本物を与えてください。」

と注意されたことを思い出す。


8日(水)
 
昨日の夜中から39.4℃の発熱。

再び病院へ昨日と違って食欲もなく元気もない。


9日(木)

薬が効いたのか朝には
熱も引いて元気になった。

ただ食欲が戻っていないのが気になるが
今は好きなものを少しずつ食べさせよう。


10日(金)

元気な様子なので保育園に連れていったが
帰宅後また熱が出てきた。

もう1日休ませてやればよかった。

療育センターへ行く日が近づくと
いつも何かが起こる。

夜中にわがままばかり言って、

気に入らないと私に
「バイバイ」と言うので、

「わかったよ」と言って
由紀子に背を向けて
洋服ダンスにくっついて寝たふりをしていた。

15分ほど一人で何かをしていたが

ごそごそと這ってきて
洋服ダンスと私の間に無理やり入り込んできて

私の腕を枕にして寝たふりをする。 

おかしくて吹き出すと
由紀子もニャッと笑った。

子供らしいことをするようになったと
嬉しくなってしまった。


11日(土)

保育園を休ませて家でゆっくりさせることにした。

熱もなく元気だが食欲がない。

天気がいい日に病気で家の中に閉じこもっているのはつらい。


12日(日)

明日の療育センターに行くのを
どうしようかと悩んでいる。

明日行かなければ2ヶ月間行けないことになる。

就学相談前に1度先生たちに会って
話をしておきたい気もする・・・。

でも体力があるだろうか・・・。

明日の朝まで様子を見て決めるしかないかな?


13日(月)

療育センターへ。

行きがけの船には静岡の伊東から来たという
観光客の団体と一緒になってほぼ満席状態。

私たちの回りもお年寄りがいっぱいで
由紀子を見つけると
嬉しそうにみんなで質問をしてきた。

「お年は?」

「お名前は?」

「どこへいくの?」…。

たまらず

「ごめんなさい!
この子は自閉症なので返事が出来ません。」

と言うと、

みんな困ったような顔をして黙ってしまった。

この瞬間がとても辛い!

も、その中の数人のおばあちゃんが

「どんなふうにあるの?」

と声をかけてきてくれた。

気を使って黙られるよりも、

こんな質問をしてくれる方が救われるのです。


14日(火)

保育園では昨日がプール開きでした。

少し風邪気味で、
咳が出ているけれどプールに入れてもらう事にした。

見学など絶対無理だと思うから。

連絡帳にはプールが嬉しくて
大はしゃぎで入っていたと書いてあった。

少し日焼けした背中が

本当に楽しかったと言っているようだ。


15日(水)

プールが始まって由紀子の
洗面所での水遊びがなくなりました。

水遊びの要求が満たされていて
落ち着いていて夜もぐっすり寝てくれるので
大助かりです。


16日(木)

今日はお天気が悪くてプールはお休みだったけれど、

シャワーとスイカ割りがあったらしい。

「プールしたの?」

と聞くと

「シャワシャワ…」


「すいか割りもしたでしょう?」

と聞くと

「そお~!」

と答えてくれた。

毎日保育園が楽しくてたまらない由紀子です。


18日(土)

以前から由紀子と約束していた
自転車を買いました。

夏休みになったら赤い自転車と
口癖のように言っていたので
まだ無理かもしれないと思いながら買ってやった。

乗れるようになるのはずっと先の事と思っていたのに、
その日のうちにペダルを踏む事を覚え
広場で何とか乗れるようになって
嬉しいびっくりです。

足の力が弱いので
少しの坂でも大変そうだけど、
いい訓練になるか。



19日(日)

家族でプールへ行きました。

水が大好きな由紀子は
大人用のプールに浮き袋をつけて入り
クルクル回ったり、

みんなに引張ってもらったりご機嫌でした。

少々顔に水がかかっても平気で、
みんなの真似をして

足をばたばたさせる事も少しできるようになった。


20日(月)

保育園はお休みですが
いつもの退屈な休日とは違って、

自転車があるの由紀子はルンルンです。

自分で乗れるのがよほど嬉しいのか
こちらが疲れて帰ろうといっても
「いや!」といって降りようとしません。

いつもは「おしまい」としか
拒否の仕方をしないくせに

こんなときはちゃんと答えるのだから…。


21日(火)

福江小学校の特殊学級の先生に
由紀子と会ってもらう約束をしていたので

保育園に行く前に小学校へ……。

Y田先生は由紀子を見て

「私が由紀子ちゃんの親でも特殊に入れるか、
普通学級に入れるか迷いそうです。」

と、おっしゃった。
本当に境界線上なのだなとつくづく思う。

『普通学級に入れた場合

よくお母さん方が

「成長した!普通学級でも問題なくやっていけている」

といわれるが、

中には障害を持っている子が成長したのではなく、

回りの子供たちが成長した事で、

上手にお世話ができていることがある。

そのことを勘違いしては行けない。』

といわれた先生の言葉が胸に残った。

その通りかもしれない。

保育園で由紀子がストレスを感じずにすごせるのは
やはり回りの子供たちのお陰だと思うから。


22日(水)

保育園で、
みんなと一緒にプールの中を走れるようになった
とお手紙にあった。

少しずつでいいからみんなに付いて行こうね。

日に日に背中の水着の跡がはっきりしてくる由紀子です。


23日(木)

保育園でプールの後に
冷たい水を飲ませてもらえるらしいのだが、

早く着替えた順に並んで待っていなければならない。

いつもは早くしなさいと
言わなければ終わらない由紀子が

この時だけはすばやく着替えて
いつも列の中にいるそうで、

先生がびっくりしていた。

いつもこうだといいのですが……

とO上先生が言っていた。


24日(金)

家族で由紀子の失敗したことなどを話していると急に

「おしまい!」と言って

不機嫌になることがある。

もしかしたら話の内容が分かっているのかもしれない。

これからは気をつけて話そうと

家族で確認し合いました。


25日(土)

商店街の夜市があったので家族で出かけた。

家を出る時に

「風船を買おうね!」

と、話していたら、

ずっと

「ふうせん、ふうせん」

と言いつづけて、

買ってやったとたんに

「おうちに帰ろうか」

と言い出した。

その時、

“そうか由紀子は夜市に来たのではなく
風船を買いに来たんだな”

と思った。

でも、

「金魚もいるよ」

と話すとまた歩き始めた。

これで金魚を買うまでは付き合ってくれるねと

家族で笑ってしまった。


26日(日)

今日はアパートのレクレーションで、
バーベキュー大会でした。

由紀子は焼き肉を食べないので
あまり楽しそうではなかったけれど、

ざわざわした中でも
あまり動揺しないでおにぎりを食べられるようになった。

そして、お腹がいっぱいになるとさっさと
自転車に乗りにいってしまった。

いつでもマイペースです。


27日(月)

今日からお父さんが北海道に出張で、

1週間も居ません。

なんとなくのんびりとしたムードの中、

問題はただ1つ。

由紀子の頭を洗う人がいなくなること。

お父さん以外の人が頭を洗うと

おお泣きする由紀子です。

どうしよう!

今日は洗いませんでした。


28日(火)

とうとう頭を洗いました。

初めは「おしまい!」と言って
泣きべそをかいていましたが、

「あたまかゆいでしょう」

と言うと

「あたまをあらおうか」

と自分で言って

シャンプーハットをかぶりだした。

少し泣きましたがおりこうさんでした。


29日(水)

保育園の散歩で芋畑まで行って
オクラの収穫をしてきたらしい。

他の子どもたちは競って
大きなオクラを捜す中

マイペースで畑のいろいろなものを見たり
確かめたりしていたとお便りにあった。

何があったの?

どんなにおいがしたの?

いろいろ聞いてみたい。


30日(木)

療育手帳の申請のために
児童相談所の知能テストを受けにいった。

鈴木ビネー式テスト

 CA5:6 MA3:6 IQ64

手帳は出してもらえるような話だったので安心した。

我が家はこうゆう申請をしても
いろいろな理由で出してもらえないことが多いから……。

児童手当も、特別児童手当もみんなだめでした。


31日(金)

由紀子が保育園で
一番恐いのは担任のO上先生です。

となりのクラスのM田先生は
あまり叱らないので

O上先生がいない時に、
パジャマの上着などを着せてほしいと
持っていくらしい、

「自分のことは自分でしましょう」

と先生に言われると

「M田先生、して、して、早く早く」

それがまるで、

O上先生が帰ってこないうちに早くと
いっているようだと
先生方が笑っていらした。

昨日からネーネー(長女)が学習合宿に行ってしまって

家にはマーマー(次女)と由紀子とお母さんだけです。


=END=
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