真の動物福祉牧場を目指して

ダラムサラーのインド人

 前回、ダラムサラーを訪れる観光客の主流はインド人になったと書きましたが、考えてみればここにチベット人が亡命政府を築いてから既に60年以上は経っているので、大半のチベット人はインド産まれのチベット系インド人と成っております。

 インドに亡命したチベット系一世は大変な苦労を重ねられたので、その殆どは健康を害して短命で亡くなり、生存者もお寺か老人ホームで静かな余生を送っており、彼等を見掛けるのはダライ・ラマの住むお寺の周りのコルラ(巡礼)路くらいです。

 わたしの物語では1969年に15歳で亡命して105歳まで元気に生きた女性トゥルク(転生活仏、秀祥)を描きましたが、そんな特別な存在は現実のダラムサラーには居ないようで、90歳近いダライ・ラマもお寺に籠りきりの生活をしていました。

 わたしとしては2060年まで元気にダラムサラーを歩き回る秀祥(しゃうしゃん)を描きたく、その傍らには同年輩でずっと護衛を務めて来た賢者ユパと、16歳の時にカトマンドゥの仏舎利塔で出会った踊り子シルヴィア(フランス人)も居り、この町の開明的で平和な発展に寄与し続けたと描きたく思います。

 そんなダラムサラーはインドで最もインターナショナルな町と言え、世界中から訪れる観光客によって発展して来た町は、今では豊かに成ったインド人の人気観光スポットと成っています。
 オフ-シーズンの今でも、夜遊びの好きなインド人で町は遅くまで賑わっており、ここは世界中のお酒が飲める町としても金持ちインド人を惹きつけています。

 下界が50℃近い酷暑となる夏場にはもっと多くのインド人でごった返すそうで、それだけの人が仏教との縁を持てる町として、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が対立するインドでのダラムサラーの存在意義は高いと言えます。

 インドに於ける仏教復興の意義は、宗教の二極対立を緩和する他にも、未だに遺るカースト差別から逃れた人々の心に平安を与える功徳があります。
 これはナグプール(中央インド)の新仏教徒(開祖アンベードカルの跡を継いだのは日本人)の様に政治活動を行うまでには発展しそうにありませんが、ダラムサラーでは差別から逃れたハリジャン(不可触賤民)の人々が細々と生計を立てている姿を見かけます。
 
 因みにこの不可触賤民という言葉は、法務大臣を勤めたハリジャン出身のアンベードカルによって使用するコトが違法とされましたが、ラジャスタン等の保守的な州では未だに根強い差別が続いております。
 これは実際にラジャスタンからダラムサラーに移り住んだ一家の青年(32歳)から聴いた話ですが、彼の父親が飲んだチャイのカップを店員が洗うのを拒否したタメ、父親は怒ってそのカップを叩き割って弁償したそうです。
 
 そんな父親はダラムサラーで靴磨きをして一家を養いましたが、苦労が祟って数年前に亡くなってしまい、その跡を青年(リッキー)が引き継いでいました。
 しかし靴磨きの仕事にはどうも違法性が伴うようで、彼は禁止された場所で営業を続けからだと言っていましたが、仕事道具一式を警察に没収されてしまったと嘆いていました。

 そんなリッキーはリシュケシュやデリーに靴磨きをしに行ったとも語ってくれ、靴修理の腕前は確かなモノと認められましたが、本当に仕事を失って途方に暮れているのかはマユツバで聞いていました。
 そんな彼はチベット僧の友人を多く持つと言うベテラン靴職人を紹介してくれ、彼を通して旅に興味のある若い僧侶を紹介してくれると言うので、ずっと付き合って食事などを奢ってあげていました。

 リッキーとは「チベット子ども村」の食堂や日本食レストラン「風の馬」で一緒に食事をし、彼は他の日本人旅行者達にも窮状を訴えて支援を募っていましたが、やはり誰もがマユツバでお金は集められませんでした。
 彼は病気の母には仕事を失ったコトを話せていないと語り、19歳の妹ともっと若い弟も仕事に着いていないので、どうにかして自分が一家を支えなければならないと語って同情を得ようとしていました。

 最終的にはベテラン靴職人のお古を譲って貰う流れとなり、一式6000ルピーはするのを3000ルピーに負けて貰い、残りはリッキーが働いて返すという話で決着が付きました。
 その6千円弱のお金は勿論わたしが払ったのですが、それには靴職人も以前に同じく仕事道具を警察に没収されたコトがあり、その時オーストラリア人旅行者に助けられてとても感謝しているという話を聴かされて、日本人として放って置けなくなった面もあります。

 しかし、若い旅好きなチベット僧を紹介してくれるという話は単に引き留める口実だった感があり、余りに幕引きがアッサリとしていたので「これはヤラレタな」という感を持ちました。
 でも他の親しくなったインド人にこの話をすると、靴磨き職人が警察に仕事道具を没収されるコトはよくある話だそうで、わたしはリッキーが盗みなどに走って刑務所に入れられるのを防いで、貧しい一家を救うという良いカルマを積んだと讃えられました。
 
 こう言ってくれたインド人は52歳の世界中でビジネス展開をしていると語る人で、彼もラジャスタン出身で日本でも手作りのランプやカーペットが高値で売れるので、是非とも提携して斜里の民宿で売らないかとビジネス話を持ち掛けて来ましたが、わたしは将来僧侶になる積りなので商売に興味はないと断りました。

 ダラムサラーにはこうした、観光客目当てのお土産屋がインド中から特産品を持ち寄って出店しており、わたしは店の前の道路で焚火をし酒を飲んでいた彼の部下に声を掛けられて、一緒に飲んだり彼等の家で食事を頂いたりしました。

 その中に、彫刻寺院で有名なカジュラホ出身の親子がおり、今月の21日にインドでも随一の盛り上がりを見せる大祭がカジュラホであるので是非とも来ないかと誘われました。
 この親子の息子(22歳)がスマホで見せてくれた写真によれば、この一家はカジュラホではケッコウな資産持ちの様で、父が描いたカジュラホの伝統アートを売りにダラムサラーに出店している様でした。

 お祭りに来てくれたらゲストとして歓待すると言ってくれたので行こうかと思いますが、その前にデラドゥンでの農業ボランティアの仕事を済まさなければならないので、今日のお昼にはダラムサラーから下山します。
 ダラムサラーの新鮮な空気で風邪気味だった体調もスッカリ良くなったので、また席無し夜行列車の旅をしますがこれまでよりも楽に行けるかと思います。

 

 

 
 
 

 
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