確かに競争は熱中でき、子供に向上心を持たせられますが、加熱し過ぎると弊害も生じます。
これについては様々な反省が為されておりますが、その最たるモノは敗者を作ってしまう点でしょう。
それによって、本来は楽しむべき学問が嫌いになってしまい、同胞(はらから)の兄弟姉妹を敵視するキライも生みます。
こうした競争教育でトップだった若者達が、社会で馴染めずにオーム事件を引き起こしたコトは、私の世代にとっては大きな衝撃でした。
当時中学生だった私は、近所(新大久保)のオーム道場に取材に行き、そこでも競争心を煽って修行が行われているのを観ました。
そんな魂の次元まで競争を持ち込まなくてもいいのに…と呆れましたが、教団の中で高い地位を得るコトは彼等にとって大きな魅力で、その為には無差別テロすら辞さなかった…
これは明らかに競争教育の弊害と言え、もう世界一豊かな日本でこれ以上なにを競争するのか? という疑問を持ちます。
しかしそんな私も、東京では日々テンピン(大人レート)の雀荘で競争心を全開にしており、競争中毒に陥っている面もあります。
やはり男には競争心が大事で、それは一万年前でも同じだった筈です。
「SAYの物語」もいよいよ競争の最たるモノである戦争に入って行き、当時世界制覇を目論んでいたアッシリアの王を登場させます。
これは現代の独裁者へのアンチテーゼ(対立命題)であり、独裁政権が国民に競争を強いるコトへの反対表明です。
戦争は否応なく競争心を過熱させるので、それが南北朝鮮や台湾海峡に飛び火しないコトを祈っています。