前回で、武者小路実篤が小説「愛と死」の主人公に「男女の愛こそ人間に与えられた最大の幸福だ」と語れせているコトを紹介しましたが、これはゲーテも「若きウェルテル」に語らせているので、たぶん真実なのでしょう。
この二人の偉大な作家は、そうした「愛」を「信仰」の域にまで高めるコトを最大の文学的テーマとしているので、わたしもそれに習いたいと思います。
今回は、わたしがこれまでの物語で描いた「愛と信仰」をザックリと振り返り、それを踏まえた上で次回から「Sun」の物語に入らせて貰います。
まずは処女作「Syn」での「愛と信仰」を振り返りますと、長崎クリスチャンとヒマラヤ転生女神(トゥルク)との愛がこの物語の核心であり、それは原爆によって打ち砕かれますが、主人公(慎語)はトゥルクの転生を信じて彼女を探し出す使命によって、原爆症(急性白血病)で死ぬ運命を免れました。
「Syn」では慎語の母である「浦上マリア(実在した)」とトゥルクの「愛」にも焦点を当てており、この嫁と姑は共に「教育の女神サラスワティー」の転生者として、二人の協働によって浦上は「天の国」に導かれるとしました。
慎語はそうした「天国の証人」として生き延び、トゥルクを見つけ出した彼は中国共産党(ドン)によるチベット侵略から多くの人々を率いて「エクソダス(大脱出)」を果たして、遂にはキリストのような「愛と信仰」により人々を癒すヒーラーと成ります。
次作の「Shu-Shan」ではより多くの「愛と信仰」を描いており、それは農聖・サイオンと女傑・紅蓮の宝土の絆で結ばれた愛や、優樹国の王・愛新覚羅傑仁と女勇者・ケチャの戦いの絆で結ばれた愛などですが、一番の目玉はやはりトゥルクと医聖・孫文徳の愛であり、この二人が命を懸けて守った娘の秀祥(シュウシャン)は、近未来の物語「Sun」でも「ネイティブのキリスト」として人類を覚醒させる大活躍を魅せます。
三作目の「Say」では、一万年前に人類が初めてチベット高原に住み着いた縁起を描いており、そこでは初代トゥルクと成るセイとメソポタミアの酪農王シバジー(旧約聖書のヨブがモデル)との愛を描きました。 これは100歳も年齢差のある前代未聞の男女愛ですが、旧約聖書では古代人はとても長命だったとしているので、それを信仰しました。
因みにセイはメソポタミアを征服したアッシュルナチルパル(二世、パル)とも結婚しますが、これは形式的な結婚でパルはゲイなので男しか愛せず(当時やってたNHK大河の実朝がモデル)、セイの息子で実はQジェンダー(ペニスは在るが女性)だったシバとパルは愛し合い、それによって後期メソポタミアは再興したと描きました。
だいぶ話が飛びまくりましたが、この三つの物語はそれぞれ一年ほどかけて毎日ブログで書いて来ましたので、読み返して頂けると非常に幸いです。
さて、次回からはまた「Sun」の物語に入りまして、「勝利の女神ドゥルーガ」や「美の女神パールワティー」などの「愛と信仰」を描こうと思います。