香港はアジアで最も人種的多様性に富む都市で、市民約750万人の内およそ50万人が東南アジアからの出稼ぎ労働者で、滞在客も常に50万人は居ります。
これはアジアの金融中心として栄えたからで、それには陰りがありますがまだ「地価世界一」をキープしています。
そんな香港ではアメリカ映画に並ぶ多様性に富んだ映画が作られており、ブルース・リーやジャッキー・チェン、「恋する惑星」や「少林サッカー」などは日本でも人気を博しました。
今回「見出し画像」にしたのはそうした「ミーハー映画」とは一線を画すシリアスな作品で、木村拓哉がキリスト役を演じています。
因みに香港は日本を上回る「宗教フリー」な土地ですが、キリスト教は「イギリス新教」がそれなりに浸透しています。
新教と旧教(ローマ-カソリック等)の違いは、旧教が沢山の聖人を崇めているのに対して、新教はキリストだけに特化していると言えます。
そのためキリストが過度に神格化され、特に彼の「受難」が神聖なモノとされています。
「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」でもキムタクが「聖なる受難」を経てヒーラーと成り、香港で貧困に喘いでいる出稼ぎ労働者や老人達をタダで治療します。
その手法は外気功の「共感の技法」に通じ、他者の痛みを自分のモノにして吸い取ります。
残念ながらキムタクはそうして吸い取った「痛み」を昇華する術を持たず、自身の健康を害してしまいますが、プロの外気功師は逆に健康を得られています。
私はあまり「犠牲精神」を描くのは好きではないので、今回もヒーラーは「痛み」を昇華させて健康になるとします。
しかしヒーラーと成るまでにはそれなりの肉体的・精神的な「受難」を経なければならず、キリストの磔(はりつけ)に匹敵するモノを描く必要があります。
彼は十字架に手と足の甲を打ち付けられて1週間も放置され、仮死状態になりますがその後復活します。
私が今回キリスト役として描く徳流河(ドゥルーガ)も幼くして身を弄ばれ、挙げ苦の果てに片目まで奪われますが、そこから「遊女の神」として復活を遂げます。
彼女は今「党」の追跡から逃れて香港に流れ着いた所で、そこで外気功の師匠と出会い弟子入りするコトとします。