この書は全体主義のマインドコントロールから解脱するのに必読とされており、「大草原での国際会議」でもまずこれが議題に挙げられます。
オーウェルは「政治と言語」についてニュースピーク(単純言語)という概念を提唱しており、これは現実に独裁政権が採用していて、「言論の自由」を根絶する道具となっています。
これは例えば「党(ドン)は私の空であり山であり海です」とか「偉大なる習主席は我が心の太陽です」と言った言語で、これをひたすら復唱させたり書かせるコトで、チベットとウイグルの人々は洗脳されています…
こうした迫害を受けた文学少女メイセムは、両親の献身によってなんとか自由世界へ逃れますが、PTSD(心的外傷)を負って立ち直るのに一ヶ月以上かかりました。
そんなメイセムはオーウェルの熱烈なファンとなり、彼のような真の文学者を目指します。
オーウェルはイギリス統治下のインドでケシ-プランテーション(大規模阿片農場)の監督官の息子として育ち、本国の名門大学を卒業してからビルマを統治する武官と成ります。
そこでの反乱を制圧したシビアな経験が彼をして「ビルマの日々」を書かせ、植民地支配を否定したオーウェルはボヘミアンとなって「パリ・ロンドン放浪記」から「ウィガン波止場への道」を経て共産主義者となり、スペイン革命(1931~39)に国際義勇兵として参戦し「カタロニア讃歌」を書きます。
この革命にはヘミングウェイも国際義勇兵として参戦し「誰がために鐘は鳴る」を書いていますが、これは映画を観る限り単に戦いのスリルを求める男達の物語で、「カタロニア讃歌」とは文学的な意義が全く異なります。
ここでオーウェルは共産主義革命に心底から失望しており、政治的なイデオロギーは結局すべて権威主義に通ずるモノだと悟ります。
彼はこの革命戦争で負った傷により46歳で早逝しますが、晩年に書き上げた「動物牧場」と「1984年」は時代を超える傑作と成りました。
話を「政治と言語」に戻しますと、メイセムは政治が愚かな権威主義に向かうコトを痛烈に批判し、そんな一時の過ちによって言語が貶められている故郷の状況を嘆きます。
この訴えは国際義勇兵達の心に響いて、どんな言語が本当に善い政治をもたらせるかが議題となり、それには参加者全員の意見が求められて夜明けまで会議は続けられます。