台湾の映画産業は日本から持ち込まれたので、日本映画の影響でスローテンポな「印象派」が主流になっています。
日本人を主役にした映画も作られており、題名は古い漢字で出ませんが、八田与一の生涯を描いています。
日本植民地だった頃の台湾には、こうした「善き物語」がいくつか有りますが、「悪しき物語」もあり、その代表は「霧社事件」です。
これは山岳民族の反乱事件で、もちろん映画になっていますが、そうした原住民は漢民族とも争いを続け、今では日本語が彼等の共通語になっています。
台湾の近代史はかなり紆余曲折していて、特に1949年に国民党が大陸から逃れて来て、そのまま台湾を支配する様になってからが大変でした。
この苦闘は「非情城市」という映画で描かれており、今でもまだ日本時代を懐かしむ人達にとって、大陸から来た人達は侵略者に見えるようです。
以上で「台湾映画について」のオリエンテーションは終わり、ここからは「Sunの物語」に被せて語って行きます。
今回は「農」についてまだテーマにしていませんでしたが、八田与一の「東洋1」のダムは農業用水路の世界最長記録を打ち立てたので、それに彩佳って流河(ルーガ)の旅でフィーチャーしたいと思います。
しかし一方で、こうした「ダムが発展の象徴」だった時代から100年が経ち、もうその時代は終わったとも言われます。(今回旅の共とした「水の未来」で)
しかし私はまだダムに夢を託しており、八田ダムに私が永年付けていたEMセラミックスの腕輪(「水は答えを知っている?」参照)を投げ込んだりしました。
これはピート-シーガーの「Oh! Had I a golden thread (ああ、私は金の糸を手にした)」に影響されてですが、流河(ルーガ)にも同様に一番親しんだ腕輪を八田ダムに投じて貰おうと思います。
次の「山岳民族について」に話を移してますと、彼等は現代でもすでに東海岸の華蓮に降りて来ており、その若者と日本語で話す機会も持てました。
近未来ではより山岳と低地との融和は進むので、流河も「彼等」と交流する機会を持ちます。
彼等の中にはネットで「日本リテラシー」を身に付けている者もおり、そうした山岳民族の若者はルーガの価値観を大いに揺さぶります。
最後に駆け足で「非情城市」と物語を掛け合わせますが、この「本省人」と「渡来人」との争いは議会でもずっと続いており、台湾議会は世界一紛糾する議会として「イグ-ノーベル賞」を受けました。
こうした「政治世界(ディランに "Political World"という歌がある)」にあって、ルーガ率いる「女子革命突撃隊」の活躍は到底無視できるハズもなく、彼女を取り込もうと多くの政治家達がアプローチするとします。