幸せをシンと呼ぶのは馴染みがないかも知れませんが、中華圏で幸福はシンフーと呼ばれ、とても良い響きだと思います。
また、この物語はどうしてもハッピーエンドで終わらせたいので、終章のタイトルは「幸」で大目に見て頂きたく思います。
さて、慎語の最期までを描くのですが、彼は1895年生まれで80まで生きるとして(ブッタと同じ)、1975年のインドが最期の舞台となります。
72年までバングラデシュの援助をし、残りの三年はブッタに習って遊行(平和行進)に当てようと思い、これは当時流行っていた土地寄進(ブーダン)運動にコラボする形とします。
ブーダン運動についてはコラムでは余り詳しいモノが無いので、PDFの「グラムダン」を読んで欲しいのですが、サクッと解説するとそれは「農村の農民による農民の為の共産主義革命」と言えます。
それは如何なる権力的な押し付けも無い、純粋に精神的な連帯による共産主義で、私もこの運動を引き継いでいるコミューンに滞在した事があります。その概要を良く記したエッセーが有りましたので、是非読んで頂きたく思います。
このエッセーで描かれている祈りには「南無妙法蓮華経」が入っており、ちゃんと太鼓のリズムで皆が唱和するスタイルです。
これは恐らく最も短い祈りのフレーズで、それだけに普遍的であり、ずっと繰り返すので誰でも加われる祈りです。
このスタイルをインドに伝えたのは主に日本山の上人ですが、在家信者の貢献も在ったので、慎語が伝えて根付いたとしても問題は無いでしょう。
慎語の平和行進にはチベット難民とベンガル難民も大勢参加し、グラムダンとして生まれ変わった村々に負担を掛けないよう天臣が資金を出して、むしろ村々の必要とする物資と労働力を提供する行進とします。
天臣はまた、上医として村人達に病気の予防法を伝え、それは抗生物質カクテル(乳酸菌生産物質)や超ミネラル水の作り方から、内気功による壮健な身体作りといった方法が伝えられます。
トゥルクはまた、微生物を培養する技に才を現して、それは慎語の腸内細菌(前のトゥルク由来)から取り、そのカルチャーは作物を元気にして食べる人達も元気にすると共に、発酵食品にも用いられて人々の腸にブレサリアンの種を植えます。
既に慎語は完全なブレサリアンとなり光と水だけで生きられ、その手はどんな病をも改善させる力を持ちます。
そうして一行は新しいインドに平和を齎しながら、危機を迎えていたパンジャブへ進んで行きます。