「剣の女王」はボブ・ディラン「攻守交代(Changing of the Guard)」のラスト-フレーズから取り、この歌をモチーフにした「十六戦旗物語」をブログで連載中のパール-ソルジェニーツィンに対して、国際的な文壇が与えた名誉性としました。
今回もそんな「剣の女王」のブログを描きますが、とうとう「長征」に乗り出したパールの物語はもうフィクションではなく、彼女の祖父が「収容所群島」で描いたようなドキュメンタリーとなります。
ーー わたし達のキャラバンにとって1番の試練となったのは、中国とモンゴルの間に横たわる山岳地帯を踏破するコトでした。
もう冬場なので夜はマイナス20℃まで冷え込み、雪が積もっていて動物達に食べさす草を得るのにも苦労しました。
キャラバンでは動物達もゲルに入れて一緒に寝ており、お互いに温め合って人と動物の絆はとても強くなっています。
人々の間の絆も強まり、100人ほどのウイグル女性達と30人の国際義勇兵達はスッカリうちとけ合えました。
これにはわたしの古い友人のミーシャとソフィアが大いに活躍してくれ、ゲイで踊り好きのミーシャは男女の垣根を取っ払ってくれて、ソフィアは毎晩ウイグル女性達から歌を習ってオペラ歌手として成長し続けています。
この山越えの試練をなんとかクリアー出来たのは、こうした歌のお陰と言え、遊牧民達も国際義勇兵達もみんな一緒に歌いながら行軍できました。
そんな変わった部隊のわたし達に、果たしてウイグルの再教育中心を解放できるのかは些か疑問でしたが、結果は「案ずるより産むが易し」でした。
これは「戦いの女神カーリー」が援軍に来てくれたコトも大きかったのですが、曾て再教育中心に入れられていたウイグル女性達の士気の高さが1番の勝因と言えます。
彼女達はカーリーから習った合気道で勇敢に戦い、素手で50人もの兵士達を見事に屈服させました。
まあ彼等の大半は酔っ払ってぐっすり寝ていたのですが、まさかこの辺境の地に山越えで部隊が攻めて来るとは想像しなかったのでしょう。
また、兵士達の士気は非常に下がっていて、人民に対して銃を向けるコトに強い抵抗感があるようでした。
そのタメ今回の解放戦では一発も銃声は響かず、数名の兵士がカーリーに腕を折られましたが、それ以上の負傷者は出ませんでした。
これはわたしにとって1番嬉しいコトで、わたしは中国人の兵士達も党に支配されている被害者だと思うので、どうか早く人民の側に立って欲しいと願っています。
こうして捕えた兵士達は、確かに「人道に対する犯罪」を行って来ましたが、それは党に強制されて行ったコトなので個人の責任は問いません。
兵士のみなさんもどうか安心して、わたし達人民の「長征」に参加して頂きたいと思います。 ーー