こんばんは。
夏至を境に日暮れは静かに静かに早くなってきています。
まだミンミンゼミが鳴いていますが、ツクツクホーシの鳴き声が聞こえれば、夏の終わりを予感し、夏の甲子園が終われば、近畿在の私は確実に夏が、夏休みが、終わる寂しさを毎年感じていました。
夕陽はなかなか山に沈みません。まさに、
『暮れ泥む』空です。
「泥む(なずむ)」とは何か障害があって、前に進むことが出来ない状態を言う言葉です。
暮れようとしているのに、暮れることができない空…
夏の夕方は、特にそんな感じがしませんか?
ゆっくりとおりてくる闇色の空、家路につく人々が行き交う街。
少しづつ変わっていく空の色のように、何故か焦燥感と安堵感が、入り混じった複雑な気持ちが、胸をよぎります。
やり残したことがあるようで、それでいて終わった仕事にホッとしている。
でも、まだ夜は長くて、眠るにはもったいないような…
暮れ泥む空は、そんな胸の中を映し出しているように見えます。
急いで向かう足を止めて、空を見上げてみませんか?
暮れそうで暮れない、暑い夏が終わって欲しいけど終わると寂しい、そんな心を映している空がとても愛しく思います。
有名な´『暮れ泥む街の 光りと影の中』と始まる歌は季節は春を想定していますが、《暮れ泥む》という言葉が、1番似合う季節は夏ではないかと思います。
今年は残暑も長いそうなので、《暮れ泥む空》も長く見れるのでしょうね。
季節は変わっていくからこそ、その季節の風物詩を私たちは心から楽しみます。日本の四季は古来より本当に美しくて、どの季節の夕陽を眺めては、思春期の頃も今も胸が締め付けられるような気分になり、幾度涙を流したでしょう。
終わりを予感しての涙だったのでしょうか…
奈良の明日香村に論文のために何日か滞在したことがあります。
京都と違い、夕方には観光客はほとんどいません。
明日香を一望できる甘樫の丘(小さい山で丘と呼ぶに相応しいです)
に夫(当時は彼)と共に登り、大和三山(天の香久山、耳成山、畝傍山)も夕陽を受けて美しく佇んでいます。
甘樫丘からの眺め
有名な石舞台古墳
伝承板葺きの宮跡
天武.持統両天皇稜
明日香はいい所です。サイクリングでまわるのも楽しいですね。
暮れ泥む空は、私の心でした。
美しい風景を隣に立っている彼と何時までも見ていたい。
暮れて欲しくないと私は願っていました。
彼から婚約者になり、今では、夫になった男性と見る景色は今でも何時までも見ていたいと思います。
写真では感じられない空気や花の香りや緑の香り、これからもそんな思いでを五感に刻みつけていこうと約束しています。
暮れ泥む空
読んでいただき、ありがとうございます。