暁に咲く幻の花

花が咲くように生きていきたいな。日々のあれこれ、嬉しいこと楽しいこと好きな人のことを、花や自然にことよせて綴ります。

夏の夕暮れは…

2015-08-14 01:01:37 | シンガーソングライター

こんばんは。
夏至を境に日暮れは静かに静かに早くなってきています。
まだミンミンゼミが鳴いていますが、ツクツクホーシの鳴き声が聞こえれば、夏の終わりを予感し、夏の甲子園が終われば、近畿在の私は確実に夏が、夏休みが、終わる寂しさを毎年感じていました。


夕陽はなかなか山に沈みません。まさに、
『暮れ泥む』空です。
「泥む(なずむ)」とは何か障害があって、前に進むことが出来ない状態を言う言葉です。
暮れようとしているのに、暮れることができない空…
夏の夕方は、特にそんな感じがしませんか?

 ゆっくりとおりてくる闇色の空、家路につく人々が行き交う街。
少しづつ変わっていく空の色のように、何故か焦燥感と安堵感が、入り混じった複雑な気持ちが、胸をよぎります。
やり残したことがあるようで、それでいて終わった仕事にホッとしている。
でも、まだ夜は長くて、眠るにはもったいないような…

暮れ泥む空は、そんな胸の中を映し出しているように見えます。
急いで向かう足を止めて、空を見上げてみませんか?
暮れそうで暮れない、暑い夏が終わって欲しいけど終わると寂しい、そんな心を映している空がとても愛しく思います。

有名な´『暮れ泥む街の 光りと影の中』と始まる歌は季節は春を想定していますが、《暮れ泥む》という言葉が、1番似合う季節は夏ではないかと思います。

今年は残暑も長いそうなので、《暮れ泥む空》も長く見れるのでしょうね。
季節は変わっていくからこそ、その季節の風物詩を私たちは心から楽しみます。日本の四季は古来より本当に美しくて、どの季節の夕陽を眺めては、思春期の頃も今も胸が締め付けられるような気分になり、幾度涙を流したでしょう。
終わりを予感しての涙だったのでしょうか…

奈良の明日香村に論文のために何日か滞在したことがあります。
京都と違い、夕方には観光客はほとんどいません。
明日香を一望できる甘樫の丘(小さい山で丘と呼ぶに相応しいです)
に夫(当時は彼)と共に登り、大和三山(天の香久山、耳成山、畝傍山)も夕陽を受けて美しく佇んでいます。

甘樫丘からの眺め



有名な石舞台古墳

伝承板葺きの宮跡

天武.持統両天皇稜


明日香はいい所です。サイクリングでまわるのも楽しいですね。

暮れ泥む空は、私の心でした。
美しい風景を隣に立っている彼と何時までも見ていたい。
暮れて欲しくないと私は願っていました。
彼から婚約者になり、今では、夫になった男性と見る景色は今でも何時までも見ていたいと思います。
写真では感じられない空気や花の香りや緑の香り、これからもそんな思いでを五感に刻みつけていこうと約束しています。


暮れ泥む空


読んでいただき、ありがとうございます。







夜の雷

2015-08-12 23:46:27 | シンガーソングライター

こんばんは。
雨が降り、遠雷が聞こえます。
私は雷が苦手で、自転車で外出中に夕立やゲリラ豪雨になり、雷などピカッと光りドーンと鳴ったらパニックになります。
徒歩なら道の家沿いにゆっくり歩き(速いものに落ちると聞いたから)
学校の校庭のそばに来た時には、私が1番背が高くなるわけですから、身を屈めてゆっくり行きます。
自転車の時は傘を開かずひたすら一定速度で家を目指します。
それ程嫌いな雷ですが、実は安全な家や車の中では稲光を見たり、ゴロゴロ鳴るのを聞くのもパニックにならず、むしろ楽しんで見てしまいます。余りにスゴイ稲光には「キャア!」など娘と一緒に叫びますが…

まだ実家にいた頃、私は自室から真夜中の雷鳴を少し怖がりながらもカーテンを開けて見ていました。
裏の家は白い壁で、稲光が走る時白い壁が一瞬紫色に染まるのです。
何故、紫になるのか不思議で私はいつまでも見ていました。
私自身が、安全な場所にいたら一瞬びっくりしても後は光ってから何秒で雷鳴が、鳴るかしらと数えたりしてます。

迫力ありますね~

女性は電気に弱いので、雷も苦手という人が多いですが、安全な場所だと案外平気です。
彼が、そばにいたら違いますが😅
私も夫が彼の時から「怖い~」と甘えたものです。
今でも夜中のイキナリの稲光や雷鳴には飛びつきます💦
後は平気ですが、夫に甘えるのもそう機会がないので怖がってるふりして甘えてしまいますね。
男性は電気に強いのはなぜでしょうね?
私は電球が、ショートして火花を散らすのを見ただけで二度と電球交換は自分で出来ず、夫か息子任せです。
ビデオの配線等も全部お任せ。学生時代は放送部だったので配線等は実は得意なんですが一度でもピリッと来たら怖いからしません。

 腰を傷めた時、病院で電気針を刺されて微力の電気がピリピリと腰に気持ち良く流れるのですが、心は電気椅子に座ってる気分です
(〇o〇;)⚡⚡⚡
15分が何と長く感じたか。

 元々電気は苦手でしたが、実は初恋の先輩が電力会社に入社後、どこかの配線修理中に感電死してしまったことが、かなりのトラウマになっています。まだ26歳か27歳の若さでお子さんも小さかったのに…それ以来、電気機械はスイッチしか触りたくないのが本音です。

私はつい、話が脱線しますね。
今も稲妻が夜空を走りました。
連日太陽に焼かれたアスファルトも雨に打たれて冷やされています。
以前、書いたように地学を学んだ私は当然気象も習いました。
かなり本気に気象予報士になろうかと考えた時期もあります。
ですから雷のメカニズムも、何が危険で安全かも知っていますが、そんな学問的なことより、カーテンを開けて雷神の派手なSHOWを見る方が楽しいです。

自然は時に猛威を振るいますが、本来全ての自然現象は美しいものです。
夜が明ける暁の光り、真昼の太陽、少し寂しい夕暮れ時の茜に染まる空の上に広がる夜の青銀の空。
雨も時雨のような優しい雨や、滝のようなスコール、しとしとと降る長雨も季節を替える大切な役割があるのです。
季節毎に繰り広げられる自然の素晴らしさを、感じて過ごせたらステキですね。


自由の女神が…

虹と稲光のコラボ




少し怖いかもしれない不思議な話

2015-08-11 19:18:03 | シンガーソングライター

こんばんは。
始めに誤解なきように…私はまったく霊感はありません。
だから身も凍るような怖い話は体験してません。
けど、世の中には霊感がない私でも首を傾げるような出来事ってあるんですね。

今までは怖くない不思議な話でしたが、今日は少し怖い不思議な話を…

今から二十数年前、京都の親戚の家に始めて一人で泊まりに行きました。
今も変わりませんが、伝統的な京都の町屋造りの家で、京都の暑い夏を涼しく過ごせるように工夫された家でした。
従姉妹と浴衣に着替え、美味しいかき氷を食べたり、貴船の方まで行くとかなり涼しくて床に足をつけるとひんやりとするくらいです。貴船には怖い神社もありますね~夜中に五寸釘を打つ女性がいるとかいないとか。
 それはともかく、私は鱧料理など分不相応な料理をいただいて、家に戻りました。
就寝の支度をしていると、年上の従兄弟が帰ってきて部屋に挨拶に来てくれました。「楽しかったか?」「うん!お兄ちゃんも一緒に来たらよかったのに」お兄ちゃんは髪をかきあげながら畳に座り「サークルがあるからなぁ。またゆっくり遊んでやるから」と私の頭を撫でてくれました。
「それよりな、今夜はこっちの障子を絶対に開けたらあかんよ。何か聞こえても、絶対に開けたらあかん」
「何で?音って何?」
苦笑したお兄ちゃんは「ん~、まぁ蚊も入るしな。障子は開けへん方がいいねん。約束や」と出て行きました。
私は、何かわからないけど約束したし、障子を開けることはしないと決めて、電気を消して薄い掛け布団をお腹にかけて寝ました。

 何時間経った頃でしょうか。
夜中に目が覚めて、喉の渇きを感じた私は枕の近くに置いてあった水差しを取り、コップに水を注ぎ一口飲んだ時です。
 ガチャ…ガチャ…ガチャと何か金属が擦れるような音が外から聞こえました。残っていた水を一気に飲み、私は障子の近くに寄り全身を耳にして外の音を聞こうとしました。
確かにガチャガチャという金属音とズッ、ズッ、という何かを引きずるような音も聞こえました。
何か大勢が歩いているような音です。
 私は京都だから祇園祭のことが思い浮かびました。
祭は先月終わったけどあれだけの祭だから後始末も時間がかかるんだ。昼間は観光客もいっぱいだし、暑いから夜に片付けてるのかもと、今考えれば有り得ないことを思いつきました。
祇園祭の鉾は綺麗だったけど、人がいっぱいいて良く見えなかったと不満だった私は、後片付けでもいいから鉾を見てみたいと、開けてはいけない、通りに面した障子をそっと3cmほど開けてしまいました。
編み戸の向こうに見えたのは、もちろん祇園祭の鉾などではありませんでした。

 ガチャ…ガチャ…という音は、戦国時代の武将が身につけていたような鎧が、擦れる音でした!
隊列を組んで目の前を歩いて行きます。よく見えませんが、皆どこか壊れたような鎧で、矢や刀が身体に刺さっているようにも見えます。
私は、もうガタガタと身体が震えて、叫び出しそうな口を手で覆うのが精一杯です。
でも、手の平の隙間からヒューという呼吸音が出てしまいました。
私が、あっと思うのと同時に隊列の一人が首を捩って私を見上げました!
私からは顔など何も見えませんが、睨まれたような恐ろしい気配だけはわかりました。
何がどうなるのかわかりませんが、もう駄目だ、死んでしまうと思ったことは覚えてますが、その後のことは、私は記憶がありません。

 朝、私はしっかりと閉じた障子のそばで寝ていました。
叔母に肩を揺すられ、寝相が悪いと笑われながら洗顔を済ませて朝食をとるよう言われました。
昨夜見たモノが、夢なのかと私は頭の整理がつかないまま朝食をいただきました。
その後、従兄弟のお兄ちゃんに呼ばれて部屋に行くと、私は黙っていられず、「お兄ちゃん、あの人達は何?鎧みたいなの着て歩いてた!何なの!」とまくし立てました。お兄ちゃんはふ~っと息を吐くと、「見たまんまや」と言いました。
「あれはな、応仁の乱の時に死んだ奴らや。そうやな、もっと前の足利尊氏と後醍醐天皇さんが戦った時やとにかく京都で死んだ奴らが、あの世から隊列組んで帰って来るんや。今はお盆やからなぁ。あの世に戻る時もああして隊列組んで帰るな。お盆の間は京都はあんなんがウロウロしてる。一人の奴もおるしな。けど、見たのに連れて行かれんで良かった」
「連れて行かれるってどこに?」
「あいつらと同じ場所や。あの世に引き込まれる。でもまだお盆の始めやから免じてくれたんかな。何にせよ、無事で良かった」
お兄ちゃんは良かったと繰り返し言ってくれましたが、私はもう怖くて震えが止まりませんでした。

京都は千年の都。
政争で負けた人の恨み、戦で命を落とした人の怨嗟、飢えで亡くなった民の血、女性や子供の涙。
そんな哀しいモノが、都中に染み込んだ場なんですね。
河原は処刑場でした。
東西南北を鬼(死霊や妖魔)から護る都でしたが、今はそんな護りはありません。
だから私が見たようなモノもいるんでしょうね。
それからも、毎年私はお盆の五山の送り火を見るために親戚のあの家に行きますが、あれきり物音も聞いたことはなく、もちろん障子を開けないので何も見ません。
歳月を経た今では、夢か幻か現実かもわからなくなっています。
また、夢オチか!とお叱りを受けますね。
私の不思議な話は、いつも夢と現実の狭間にしかないようです。


彼岸花=曼珠沙華


嫌う人も多いですが、私は好きな花です。


幽玄な紅の世界 どこに続く道なんでしょう?やっぱりあの世でしょうか…
 曼珠沙華はこの世に咲きながら、あの世に繋がるような、あの世を焦がれながら咲いてる花に見えます。
妖しさをまといながら咲く花に、不思議な魅力を感じます。


白い曼珠沙華

黄色もあります

やはり赤が、1番曼珠沙華という名に相応しいですね


読んでくださり、ありがとうございます。


大切な人へ 伝えること

2015-08-10 19:53:08 | シンガーソングライター

こんばんは。
愛しのましゃ(福山雅治)は8日9日と横浜の日産スタジアムでライブでした。行った方は盛り上がりましたよね😍

自分の1番大切な人と毎日一緒に暮らせて、子供たちもいて、家事は面倒だけど、居心地のいい家にしたいからそれなりにこなして、夫が遅い日は、子供達が寝たら好きな本を読んだり、刺繍を楽しんだりして夫の帰りを待って、帰って来たら二人でお茶を飲みながら会話を楽しんで、就寝。
 ごくごく当たり前の日々がいつか崩れるなんて誰も想像しないですよね。私もそうです。

大切だから、護りたいから、言葉で伝えないといけないと思います。長年一緒にいたら短い言葉になったり、返事もおざなりになったりしてしまいがち。
【ありがとう】
誰に言われても嬉しい言葉。
私は家族にも友達にも、道ですれ違った散歩中の犬が懐いてきてくれてもつい「ありがとう」と言ってしまいます。
言われたら嬉しいから、私も色んな場面で言います。

 〈有り難い〉あることがむずかしい、めずらしいこと 
ありがとうと言われ感謝されることは滅多にない素晴らしいことだったんですね。
だから、感謝の言葉は本当に心から感謝した時にしか使わない、と言う人がいます。その方がありがたみがわかるから、と。
それも一理ありますし、その人の考え方なので私は何も言えませんが、何かを落とした時に拾ってくれた人がいたら、すみませんじゃなくて、「ありがとうございます」とニッコリ微笑みたいです。
 子供の友達にも「〇ちゃんママにも」とアメを貰ったら必ず、腰を落とし、子供の目線に合わせて「ありがとう。嬉しいな」と言ってきました。
照れちゃう男の子もいましたが、息子の友達も娘の友達にも分け隔てなく、「ありがとう」とすれ違った時は「こんにちは。またね」と声をかけてきたせいか、私の方が息子の学年では女子の知己が出来たり、悩み事を聞いたりもしました。
中学生になった今ではそんなことはもうないのですが、懐かしい思い出です。

 もちろん、子供達にも徹底して躾けました。
お箸を取って欲しかったら、「お箸を取って下さい」と必ず《下さい》をつけさせて、「ありがとう」もしくは「ありがとうございます」
と言わせます。
「ママ~ハンカチ~」
など、絶対に言い直させます。
「ママ~ハンカチ取って」でも動きません。「ママ~ハンカチ取って下さい」で、動いてハンカチを目の前に出します。
「ありがとう」と言ったら、ハンカチを渡します。
プレ幼稚園からやってきたので、幼稚園ではしっかり身につき、園長先生にも褒められてましたが、最近は娘は第一次反抗期、息子は思春期に入り反抗期真っ盛り。
あれだけ躾けたのに、最近は挨拶も、ありがとうも忘れがちに。
息子は先輩方もいるのでまだマシですが、娘がそうでは生意気に思われたり、躾のなってない娘ではいけないので、またも厳しく躾け中です(x_x;)💦
まったく😓

 そして生涯の伴侶、夫です。
帰りに何か買ってきて欲しい時は「時間があったら頼んでいい?」と聞き、「コレとコレ買ってきてくれるかしら?」とまぁ、頼むわけですから私もネコを被り甘える言い方になります😉
大概は快く引き受けてくれるので、玄関で見送る時は「忙しいのにごめんなさいね。いつも助かるわ。ありがとう」ともう一度言います。
それだけで、頼まれ事も嫌じゃないし、ありがとうと言われたら働く元気も出ると夫は言ってくれます。

何かを頼む時は   《~して下さい》
何かして貰った時は 《ありがとう》

身近な人から始めましょう。
照れちゃいますか?でも普段言わないからこそ、相手もびっくりするし、嬉しく思うものですよ。
日本人は黙っていても心は伝わるとか、男は黙ってる方がカッコイイとか言いますが(おしゃべり過ぎる男性はどうかなと私も思います)
口は何のためにあるのでしょう。
思いは口にしなければ伝わらないし、以前お話ししましたが、『言挙げ』してこそ、物事が動くのです。不吉な事を口にしないのと反対に良いことや嬉しい事、そして好きな気持ち、愛してる気持ち、
世界で誰より大切に思ってる気持ちは伝えましょう💕💕

今日言わないで後悔する時だってあるんです。
明日が今日と変わらない日だと思っていても、地震等の災害や大切な人が、事故にあったり病気になるかもしれません。
「いつか言おう」と思っていても、言えないままになるかもしれません。

私は【言葉】を大事に思います。
動物の言葉はわかりません。あんなに大切だった大好きな猫が、病気になった時も、どう痛いのか苦しいのか、何が食べたいのか、どこを撫でて欲しいのか知りたかったです。あの子が、何を思い逝ったのか未だに知りたくて涙が出ます。

人は思いを伝えることが出来ます。
それこそ有り難いことです。
どうか言わないで後悔しないように、伝えたい想いは伝えましょう。
ありがとうの言葉は、自分も相手も幸せになる魔法の言葉です💗


《家族になろうよ》より

夏椿 沙羅の木

読んでくださりありがとうございます。









夏休み旅行紀  最後の夜は仮面舞踏会🎶

2015-08-07 17:53:03 | シンガーソングライター


こんばんは。
お天気に恵まれた3泊でした。今日は特に陽射しも強く、金曜日で家族連れも多く、プールは満員御礼でした。

 ウォータースライダーを娘と滑ったり、流れるプールに浮輪にもたれかかりながら、流されるままになっているのはとても楽しかったです。

 夜にはパーク内はイルミネーションで彩られ、オリエンタルエリアはアンコールワットそっくりな建物や、広場はモスクが建てられ、アジアの色んな雰囲気が楽しめます。














最後の晩は、プールのステージでの仮面舞踏会にもう一度行きました




仮面にドレス、大変ですね
娘は相変わらずダンス好きでノリノリ🎵💃

いつか子供達が大きくなった時に、毎年の旅行の何が思い出に残ったのか、聞いてみたいと思います。
でも、思い出を貰っているのは、私たち親なのかもしれません。
成長した姿を見ると、無事に大きくなっていることに感動を覚えます。
普段は怒ってばかりのママの笑顔に子供達も安心して甘えて我が儘を言うけど、せっかくの旅行に野暮なことはしません。
ひとさまに迷惑をかけなければ、多少のことは大目に見ます😊
素敵な思い出が聞けるとイイナと思います…

読んでいただきありがとうございます


万華鏡ですね