ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

国際競争力のある研究に向けて

2023-09-02 11:34:43 | 日記
私は今の日本政府の学術行政に危惧の念を懐いているーー数日前の本ブログで、私はそう書いた。ノーベル物理学賞の受賞者数が端的に示すように、今の日本の自然科学は国際社会で目も当てられないほど他国に後れをとっている。日本の学術のこういう衰退は、学術、ーー特にその基礎的分野への予算配分をケチる日本政府のやり方が元凶ではないか。私はそう考えている。


もっとも、私は四六時中、そんなことを考えているわけではない。ふだんは「最近のテレビドラマは面白くなくなったなあ」などとぼやいている。たまたま学術関連の記事を目にしたとき、私は日本の学術行政のあり方に思いをめぐらせ、危惧の念を募らせるのである。


きょうは次の記事が目についた。


文部科学省は1日、世界トップレベルの研究力をめざす『国際卓越研究大学』の初めての認定候補に東北大を選んだと発表した。大学変革に向けた計画と戦略が明確だと高く評価された。東京大や京都大など他の9大学の選定は見送られた。
東北大は来年度中に正式認定された後、政府がつくった10兆円規模の大学ファンドから支援を受ける見通しだ。
この制度は、政府が巨額の資金を投じて国際競争力のある大学づくりを後押しし、低迷が続く日本の研究力を底上げしようというもの。文科省の有識者会議が4月から審査してきた。

(朝日新聞9月2日)


「国際競争力のある大学」をつくろうとする文科省のこのプロジェクトは、研究費の配分に競争原理を持ち込むことによって、大学教員や研究者の研究意欲を高めようとする企てである。過去の栄光や権威の上に胡座(あぐら)をかいていたのでは、充分な研究費はもらえない。となれば、研究者はだれもがより多くの研究費を獲得しようとして、日々の研鑽を重ね、鎬(しのぎ)を削ることになる。


良いことではないか。ともすればサボりたがる研究者の、その鼻面に人参をぶら下げるとは、文科省のお役人も上手いことを考えたものだ、ーーそう思う人も多いことだろう。


だが、私はそうは思わない。私が懸念を懐くのは、実はこの「人参ぶら下げ方式」に対してなのである。


どういうことか。この方式では、多くの研究費を獲得できるのは、国際的な競争に勝てそうな研究だけ、見栄えのよい先端的な研究だけということになる。見栄えに劣る地味な基礎的研究には、小額の研究費しか配分されないことになる。すぐに結果が出る先端的分野にしか目を向けず、地道な基礎的分野への予算配分をケチる日本政府のやり方が問題の元凶ではないか、と先に私は書いたが、この「人参ぶら下げ方式」は、こうした私の懸念に直結しているのである。


多額の研究費にありつこうとして、目先の先端的な研究に血道をあげ、基礎的な研究を疎かにする若い研究者を、私は何人も知っている。だが、斬新な研究成果は、基礎的な研究の見直しの中からしか生まれない。「人参ぶら下げ方式」の枠内で育った若い研究者が「国際競争力のある」研究成果をあげられないのは、あまりにも当然のことなのである。

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