ネタが見つからないときは苦しい。砂漠の中を独りトボトボ歩いている苦しさ
に、それは似ている。
ネタが見つからないとき、私はとりあえず新聞を広げる。広げた紙面が、ネタ
の宝庫のように思えてくる。大した事件もないのに、よくこれだけのネタを揃
えられたものだと感心する。さすがは大企業のなせる技だと思う。
もっとも、最近の新聞は紙面の大半が広告で占められている。私のブログの頁
も広告で埋めることができたらなあ、と思うこともないではないが、私のブロ
グなどたとえ広告を募集したところで、応募する企業は出てこないだろう。
ネタが見つからないときは苦しい。う〜む、う〜むと足りない頭を絞り、知恵
を絞り、思いがけず、ふとネタが閃いたときの喜び!ネタが「降りてきた」と
きの快感!その瞬間は何にもかえがたい。私はその瞬間が味わいたくて、ブロ
グ書きを続けているのではないかと思う。私のブログは、溢れ出る思いと言葉
の泉をそのまま文章にして綴るといったものではない。砂漠の中でやっと小さ
なオアシスを見つけ出し、その源泉にえっちらおっちらたどり着くまでの拙い
記録だとでも言おうか。
きょう新聞に目を通していたら、シンガー・ソングライターのさだまさしが曲
作りについて、こんなことを言っていた。
「切羽詰まって何が噴き出してくるか。網を投げて何がかかるかが楽しみ。い
けすの中にいろいろ飼っていて、曲作りをするぞ、と釣り糸を垂らす感じで
す。」
(朝日新聞11月19日)
さすが才能の豊かな人は違うな、余裕があるな、と思う。私なんて、いけすの
中に飼っていた魚は、もう大方釣り尽くしてしまっている。
きょうは週に一度の「出勤」を取りやめた。雨の予報だったので、もっけの幸
いと思ったのだ。しかし期待に反し、今のところ雨は降っていない。きのうア
マゾンから届いたキーボードの、その試し打ちを兼ねて、今、このブログ記事
を書いている。案の定、こんなときは良いアイデアも「降りて」は来てくれな
い。やれやれ。
に、それは似ている。
ネタが見つからないとき、私はとりあえず新聞を広げる。広げた紙面が、ネタ
の宝庫のように思えてくる。大した事件もないのに、よくこれだけのネタを揃
えられたものだと感心する。さすがは大企業のなせる技だと思う。
もっとも、最近の新聞は紙面の大半が広告で占められている。私のブログの頁
も広告で埋めることができたらなあ、と思うこともないではないが、私のブロ
グなどたとえ広告を募集したところで、応募する企業は出てこないだろう。
ネタが見つからないときは苦しい。う〜む、う〜むと足りない頭を絞り、知恵
を絞り、思いがけず、ふとネタが閃いたときの喜び!ネタが「降りてきた」と
きの快感!その瞬間は何にもかえがたい。私はその瞬間が味わいたくて、ブロ
グ書きを続けているのではないかと思う。私のブログは、溢れ出る思いと言葉
の泉をそのまま文章にして綴るといったものではない。砂漠の中でやっと小さ
なオアシスを見つけ出し、その源泉にえっちらおっちらたどり着くまでの拙い
記録だとでも言おうか。
きょう新聞に目を通していたら、シンガー・ソングライターのさだまさしが曲
作りについて、こんなことを言っていた。
「切羽詰まって何が噴き出してくるか。網を投げて何がかかるかが楽しみ。い
けすの中にいろいろ飼っていて、曲作りをするぞ、と釣り糸を垂らす感じで
す。」
(朝日新聞11月19日)
さすが才能の豊かな人は違うな、余裕があるな、と思う。私なんて、いけすの
中に飼っていた魚は、もう大方釣り尽くしてしまっている。
きょうは週に一度の「出勤」を取りやめた。雨の予報だったので、もっけの幸
いと思ったのだ。しかし期待に反し、今のところ雨は降っていない。きのうア
マゾンから届いたキーボードの、その試し打ちを兼ねて、今、このブログ記事
を書いている。案の定、こんなときは良いアイデアも「降りて」は来てくれな
い。やれやれ。
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