論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
林放問禮之本。子曰、大哉問。禮與其奢也、寧儉。喪與其易也、寧戚。
《翻訳》
林放〔りんぽう〕、礼の本〔もと〕を問う。子 曰〔のたま〕わく、大〔おお〕いなるかな問いや。礼は其〔そ〕の奢〔おご〕らんよりは、寧〔むし〕ろ倹〔けん〕せよ。喪〔そう〕は其の易〔おさ〕まらんよりは、寧ろ戚〔いた〕めよ、と。
林放〔りんぽう〕、礼の本〔もと〕を問う。子 曰〔のたま〕わく、大〔おお〕いなるかな問いや。礼は其〔そ〕の奢〔おご〕らんよりは、寧〔むし〕ろ倹〔けん〕せよ。喪〔そう〕は其の易〔おさ〕まらんよりは、寧ろ戚〔いた〕めよ、と。
《現代語訳》
孔先生のお話を聞いていた林放さんが、「礼学の根本とは何でしょうか」、とお尋ねになり、先生は次のようにお答えになりました。
とてもいい質問だね。たとえば、儀礼を行うときには、驕〔おご〕り高ぶらないこと、というよりも質素〔しっそ〕な方がよろしい。
写真は宮内庁より
また、喪礼〔もれい〕のときは、行きとどいた礼式・礼法よりも、哀しみで心が乱れるくらいがよろしい、と。
〈つづく〉
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない
※ イラストは『かわいいフリー素材集 いらすとや』さんより