和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:雍也第六 〔10〕 之を亡ぼせり、命なるかな


論語を現代語訳してみました。



雍也 第六

《原文》
伯牛有疾。子問之。自牖執其手、曰、亡之。命矣夫。斯人也、而有斯疾也。斯人也、而有斯疾也。

《翻訳》
伯牛
〔はくぎゅう〕 疾〔やまい〕 有〔あ〕り。子 之〔これ〕を問〔と〕う。牖自〔まどよ〕り其〔そ〕の手〔て〕を執〔と〕りて曰〔のたま〕く、之ぞ亡〔な〕からん。命〔めい〕なるかな。斯〔こ〕の人〔ひと〕にして、斯の疾 有り。斯の人にして、斯の疾 有り、と。




《現代語訳》


お弟子さんである伯牛〔=冉耕の字〕さんが病気に侵されてしまい、孔先生がそのお見舞いに行かれました。



冉耕 伯牛
(ウィキペディアより)



その際、先生はその病気が不治〔ふじ〕の病〔やまい〕であることを知りますが、伯牛さんは先生にまで病気がうつってはならないと思い、泣きじゃくりながらも面会を断り続けたのでした。

しかし、どうしても伯牛さんとの面会を果たしたい先生は、「せめてこの小窓よりその手だけでも見せておくれよ」と涙ながらに訴〔うった〕えられたのです。

伯牛さんは、小窓よりそっと手を差し出し、先生の願いに応えようとすると、先生はその手をぎゅっと握りしめ、悲痛な叫びをあげられたのでした。


こんなことがあってよいものか。天はなにゆえ伯牛を死なせるのか。この人にして、この病有り、この人にして、この病有り、と。



ドラマ『孔子春秋 第37話』より








《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

最後の「この人にして、この病有り」については、翻訳とそのままが良いと思います。


※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


↓↓モチベーション維持にご協力お願い致します。m(_ _)m

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「現代語訳:雍也」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2024年
2023年
人気記事