和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:公冶長第五 〔5〕 焉んぞ佞を用いん


論語を現代語訳してみました。



公冶長 第五

《原文》
或曰、雍也仁而不佞。子曰、焉用佞。禦人以口給、屢憎於人。不知其仁。焉用佞。

《翻訳》
〔ある〕ひと曰〔い〕わく、雍〔よう〕や仁〔じん〕なるも佞〔ねい〕ならず、と。子 曰〔のたま〕わく、焉〔いずく〕んぞ佞を用〔もち〕いん。人を禦〔あた〕るに口給〔こうきゅう〕を以〔もっ〕てすれば、屢〔しば〕しば人に憎〔にく〕まる。其〔そ〕の仁を知らず。焉んぞ佞を用いん、と。




《現代語訳》


ある人が孔先生に対し、次のようにお尋ねになりました。


冉雍〔ぜんよう〕は人格の優〔すぐ〕れた人ではありますが、弁〔べん〕が立ちませぬな、と。


先生は少しだけ声を張り上げて、次のように仰られました。


どうして弁が立たなければならないのか。誰かに自分の本意〔ほんい〕を知ってもらいたいときに、口頭こうとう〕だけで伝えようとすれば、かえってその真意が伝わらずにおわり、最悪の場合は憎まれてしまうこともある。

雍の人格が優れているのかどうかはわからないが、弁が立たなければならない道理などないのだよ、と。



冉雍
(維基百科より)


〈おわり〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

しゃべりも文章作成も下手な私にとっては、今回の孔先生のおことばは非常に勇気付けられるのですが、けれども、よく考えてみると、しゃべりも文章作成も下手だったら、死ぬまで相手に自分の気持ちが伝わらん!ってことかいな…?(´・ω・`)?

それはちょっと、凹みそ…(・・;)


※ 関連ブログ 焉んぞ佞を用いん
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 冉雍(仲弓=ちゅうきゅう)は孔門十哲のひとりで、人格者として知られている
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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