和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:雍也第六 〔14〕 子游 武城の宰と為る


論語を現代語訳してみました。



雍也 第六

《原文》
子游爲武城宰。子曰、女得人焉耳乎。曰、有澹臺滅明者。行不由徑。非公事、未嘗至於偃之室也。

《翻訳》
子游
〔しゆう〕 武城〔ぶじょう〕の宰〔さい〕と為〔な〕る。子 曰〔のたま〕わく、女〔なんじ〕 人〔ひと〕を得〔え〕たるか、と。曰〔い〕わく、澹台滅明〔たんだいめつめい〕という者〔もの〕 有〔あ〕り。行〔ゆ〕くに径〔こみち〕に由〔よ〕らず。公事〔こうじ〕に非〔あら〕ざれば、未〔いま〕だ嘗〔かつ〕て偃〔えん〕の室〔しつ〕に至〔いた〕らず、と。




《現代語訳》


お弟子さんである子游さんが、武城の長官に任命されましたが、そのとき孔先生が次のようにお尋ねになりました。


子游よ。お主を補佐する人物は得たのかな、と。


これに対して子游さんが、次のように答えられました。


わたくしには澹台滅明という人物があります。彼は不都合・不合理なことであっても嫌がらずに行ないます。

また、公用でないかぎりは、いまだかつて、わたくしにあれこれと物申したことはありません、と。








《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

『偃』とは子游の名をいい、ですから自分自身を指す「私」と語訳しています。

さらに『至於偃之室也』を語訳するにあたっては、偃之室=子游の執務室と解するのが一般的だと思われますが、ここでは敢えて「物申す(=相談事)」と捉えました。

その理由としては、この澹台滅明という人物像を深く考えたならば、この語訳の方がしっくりするんですよね。

孔子弟子列伝によれば、澹台滅明が孔子への弟子入りを求めた際に、その言葉使いや身形などがあまりにお粗末であったために、孔子はひどく彼を気嫌いしたらしく、しかしながら、今回の子游の話しを聞いたり、また、彼の日常の暮らしぶりを眺め観ることによって、その人間性があまりに素晴らしいことに孔子は気付かされ、彼を気嫌いしていた自分自身に恥じ入ったとあります。

また、その後の澹台滅明は南方の長江を渡った町に暮らし、そこで弟子300人を抱えるほどの賢者と称されるに至っており、こうした観点からみても、なぜ、冉雍や顔回や冉伯牛のような仁徳者のあとに澹台滅明が紹介されているのかを考えてみれば、澹台滅明もまた仁徳者であったと解釈することができます。

また、孔子弟子列伝によれば、孔門十哲のひとりといわれている宰我に対しても孔子は恥じ入っているとあり、宰我は口達者であったがために孔子は、まんまと騙されてしまった己自身を恥じ入り、以降、宰我の行ないを観ては自分への戒めとしていたのではないか、とも考えられるのです。『言を聴きても、其の行ないを観る

何にしろ、澹台滅明もまた多くを言わず、愚鈍ではあるけれども、しかし仁徳を求め学問を愛した人物のひとりだったのでしょう。


※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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